病理医が細胞を調べるとき、一般的に使っているのは「H&E染色」という染め物をほどこしたプレパラートである。
H&E染色では、細胞の核や細胞膜などをハイライトさせ、細胞質に色味を与えることで、細胞の形だけではなく機能(分泌しているか、消化用の顆粒を持っているかなど)を見ることができる。
でも我々の使う武器はH&E染色ひとつではない。
「免疫染色」とよばれるやりかたがある。なにやらテクい名前がついているが、細胞の中にある特定のタンパク質に「タグ」をくっつけて、そのタグを特殊な色素で染めるという二段がまえの技法である。
細胞のすべてを一度に見るのではなく、細胞の中にあるタンパク質があるかないか、あるとしたらどこにどのように分布しているのかだけを見る。イメージとしては、空港にある金属探知機。人やカバンの輪郭だけが見えて中身が透けており、その中に重火器などの金属があるとピカッと光るアレ。免疫染色もああいう感じである。
免疫染色の中で最も一般的に用いられているのが、Ki-67というタンパク質に対するものだ。ケーアイろくじゅうなな、ではなく、キーシックスティセブンと発音する。キール大学の開発した67番目の抗体だからキーと発音せよ、とベテランの病理医に教わったことがある。
このキーを用いると、細胞が今、「分裂しようとしているか、それとも分裂はいったんやめて自分の機能をまじめに果たそうとしているか」がわかる。
Ki-67免疫染色をやって、ビカッと細胞核の部分に色が付いていれば、その細胞は「細胞分裂しようとしています」という意味である。
さまざまな臓器からとってきた組織にKi-67を施行すると、あちこちの細胞が「今、まさに増えンとす!」みたいな状態であることがわかる。
たとえば食道の重層扁平上皮粘膜では、粘膜の底のあたりにKi-67陽性となる細胞がずらりと並んでいる。粘膜の下のほうで細胞が分裂し、できた細胞は粘膜の上のほうにせりあがってきて機能を果たすわけだ。
筋肉の組織でKi-67を染めても陽性となる細胞はあまり多くない。筋肉は新陳代謝で入れ替わるよりも、分裂せずに筋肉としての機能を発揮することが求められているので、平時にはKi-67が染まる細胞はあまり多くないのである。
「がん」の組織でKi-67を染めるとどうなるか? 普通の細胞にくらべて、はるかに陽性となる細胞が多い。異常な増殖を示しているのだ。
でもKi-67は染まった数だけを見る染色ではない。
「どこに染まったか」を見るほうが役に立つ。
さきほど、食道の粘膜では、細胞は「底のほう」で増えると書いた。正確には一番底の部分じゃなくて、底の一段だけ上の部分なんだけど、ま、それはいいとして。
「食道がん」の場合、細胞は粘膜の底だけじゃなく、至るところで増える。粘膜の表面付近でも細胞が増えようとたくらんでいるわけだ。
「増殖の現場」が狂っている。異常を来している。だからがんだなとわかる、という寸法である。
つらつらと書いていて思うのだけれど、ぼくはかなり、「細胞がどのようにふるまっているか」を診断のときに気にしている。「こいつは今、増えようとしているな」みたいに、あたかも「細胞の気持ちを読む」かのような考え方をする。
病理医の中には、「安易に細胞を擬人化すべきではない。細胞にはそんな『つもり』はないのだから。」と言う人もいる。
でも、なんだろうな、ぼくがやっている仕事というのは、細胞が「どんなつもりなのか」を代弁する仕事なのではないかと思うんだよな。多少、本人の気持ち以上に、言い過ぎてしまうこともあるんだけど。
「Ki-67をみるとこいつはだいぶやる気になってることがわかるんですよ」、みたいなことをぼくは言う。クセなのでもうやめられないだろうな。