2023年8月14日月曜日

病理の話(805) 没個性な細胞をみる

むずかしい、むずかしい、診断である。

細胞があまり見たことのない形態をしていた。パッと見で、顕微鏡の拡大を上げる前の時点で、「あーこれ決着させるの時間かかりそうだなー」とわかった。そして実際に拡大を上げて「ほらやっぱりー」とひとりごちた。

どうも細胞の性格がわかりづらいのだ。とりたてて特徴がないというか……。





ぼくら病理医は顕微鏡を見て「細胞の特徴」を見極める。

カタチ(輪郭)や色合い・色ムラ、細胞同士の配列。

たいていの細胞は、病気だろうが正常だろうが、なんらかの特徴をもっている。それは主に、細胞が「どういう仕事をしているか」によって決まる。

警察官と消防士とセブンイレブンの店員がそれぞれ違う制服を着ているようなものだ。農家で畑を耕す人はクワを持ったりトラクターを乗り回したりする。ゴミ収集車に乗る人は汚れを防ぐためのツナギを着ている。見た目でだいたい仕事がわかるようになっている。

細胞だっていっしょなのだ。ふつうは。

しかし、今回の診断では、細胞の特徴がいまいちわからない。うーん、形質細胞に似た細胞質を持っているといえば持っているんだが……でも形質細胞と違って隣同士すこーしだけくっついているなあ……。核の大きさが不揃いな点は気になるけれど、ふだん見ている悪性腫瘍と比べると、迫力がないというか、核小体もあまり目立たないし、クロマチンの量も増えてないんだよなあ……。

細胞に特徴があれば、我々は、「おそらくアッチ系の細胞なのだろう」とわたりを付けることができる。粘液を持っていれば腺系の細胞だろう、神経内分泌顆粒がみられれば神経内分泌腫瘍のどれかだろう、といったように。

これはたとえば、今そこにいる人の身体検査をして、拳銃が見つかった場合に、「警察官か、自衛隊の人か、ヤクザか」のように、その人のおよその属性に目星をつけるようなものだ。警察官とヤクザでは正反対じゃないか、と思われるかもしれないが、二択や三択まで絞り込んでしまえばあとは丁寧に調べればいいだけなのである。

しかし今回の細胞にはそういう特徴がない。まいったなあ。とっかかりがないから、どの教科書を開けばいいのかもわからない。



一度悩み始めると診断はどんどん遅れる。

こういうときには、他の人の目も借りるとよい。「診断の達人」に相談できればベストだが、いわゆる「普通の病理医」に複数見てもらうのも役に立つ。自分だけで見ていると気づかない「所見」があるものなのだ。誰かといっしょに顕微鏡を見て、細胞の様子を口に出しながら語り合っているうちに、「あっそういえば……」と、

視野には入っていたのに見えていなかったもの

や、

見えてはいたけど意味を取り出せなかったもの

に気づくことがある。



「たしかにこの細胞、個性がぜんぜんないけど、逆にいうとこの個性のなさで、これだけ増えてるって時点でかなり異常だよね」

「たしかに……」

「あと、この没個性な細胞だけじゃなくて、同時にこう……別の細胞もまぎれこんでないかい?」

「言われてみればそうだな。こんなに炎症細胞がまぎれこむということは、あの高悪性度の腫瘍ではないのかもしれない」

「そしたらむしろこれから免疫組織化学で検討すべき内容は絞られてくるんじゃないの?」

「おっそうだな」




抽象的すぎて誰の参考にもならないことを書くけれども、細胞の診断においては、「わかりやすい所見」があるに越したことはないけれど、「わかりやすい所見が一切無い」というのも立派な個性である。ある程度経験を積んだ病理医がいくら顕微鏡を見ても「没個性なやつだなあ。」と感じる時点で、それはじゅうぶんに特殊なのだ。

さらに、細胞の細かな性状を調べよう、見極めようと、やっきになればなるほど見逃しやすい情報というのもある程度決まっている。細胞同士の距離感とか、背景に増えている炎症細胞の割合とか、間質の成分とか、多彩性の有無とか……。「あっ、わかりにくいな」と感じた瞬間に、頭を切り替えて、「瞬間的にわかりにくいと感じるタイプの病気にありがちなこと」を探しにいく感覚が重要だ。




……また、ほかの領域にはまったく応用できないマニアックなことを書いてしまった。まあいいか。「病理の話」だし。