2019年1月4日金曜日

病理の話(280) 命名こばなし

今日はいつにも増して「小話」です。



「リンパ腺(せん)」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

風邪をひいたときに首筋にコリコリとなんだか固いマメみたいなものを触れたときに、

「ああーリンパ腺はれたよ」

みたいなことを言ったことはないだろうか?

ちょっと古い言葉ではある。サナトリウムが出てくるような古典文学や、翻訳文学などに、「淋巴腺」という言葉が出てくる。

リンパというのはもともとドイツ語のlymph(英語も同じスペル)を元にした当て字にすぎないが、「腺」というのは漢語としての意味がある。

にくづきに、泉。

すなわち「体の中で何かが湧き出してくる場所」という意味だ。



昔、まだ解剖学や病理学がそれほど進歩していなかったころには、白くにごった「リンパ液」が出てくるマメはまさに「腺」だったのだろう。

リンパ液をたたえている腺。だからリンパ腺。

この思考回路は納得である。



でも、病理学が進歩すると、「リンパ腺」が実は「腺」でもなんでもないことがわかった。首筋や脇の下、鼠径部などにみられるリンパ組織は、リンパ液が流れ込み、リンパ球たちが駐屯する、「免疫担当細胞の駐屯地」みたいな場所であり、粘液とか漿液をじゃんじゃん生み出して分泌する場所ではなかった。

だから名前が変わった。

今では

「リンパ節(せつ)」という。




このあたりを医学生に教えると、あぁーなるほど、という顔をする。

Misnomer(ミスノーマー)。間違った、不適切な名付け。

「リンパ腺」という呼び名は古くて間違っています。今はリンパ節と呼びましょうね。

知識を得た学生たちは、少し、したり顔になる。

カミュの翻訳本などを読んで、「あー昔は腺だと思ってたんだよね(笑)」なんてニヒルに笑ってみたりもする。




そして、応用が利くことに気づく。

「扁桃腺(へんとうせん)」という言葉がある。のどの奥に、左右1つずつあるふくらみ。扁桃腺が腫れて熱が出た、などというだろう。

ここも実は「腺」ではない。だから正確には「扁桃」と呼ぶべきなのである。

ぼくも長年「扁桃腺」という言葉を病理診断報告書に書いていた。ものすごく怒られるほどのことではないが、ちょっとだけ、「ごめんね」とは思う。




人間、間違った名称を使い続けてはだめだよね。

理屈にあった、正しい言葉を使わないといかんよね!

それが医学だもの!

先日も医学生と、そのような会話をしたばかりだ。




……そして先ほど気づいてしまった。

「胸腺(きょうせん)」という臓器があるのだが、これも実は「腺」ではない。

しかし未だに胸腺という名称が何かに置き換わるという話は聞かない。




……医学はなにをやっておるのだろうか?

まあ、もう、いんじゃね? って、なってしまっているのだろうか?




名称というものは難しい。

そういえば前立腺ってぜんぜん前に立ってない。