講演するために東京に来ている。
もう少し遅い時間の飛行機でも間に合った。けど、自分の講演ではなくて、ほかの人の講演も聞いてみたかったので、朝いちばんの飛行機に乗ってきた。
機内には海外からの観光客がちらほらみられた。おそらくは羽田で乗り換えたいのだろう。
ANAの機内アナウンス用の映像は、この春から「歌舞伎」をモチーフにしたものにかわった。日本を楽しみに来た人にとってのちょっとしたサービス。
座席に座ってシートベルトをしてほしい、喫煙は禁止されている、ライフジャケットの付け方はこうだ、みたいな話を、歌舞伎装束の人が演じている。
フライト中には「右手に富士山がみられます」というアナウンスもあった。
これ見よがしな日本アピールを嫌いな人もいるだろう。
でもぼくはこういうの、けっこう好きだ。
ぼくの斜め前に座っていたおじさんも、明らかに日本人だったけど(日本語の新聞読んでたし)、機内映像をスマホで撮っていた。
日本の日本らしいところをプレゼンしようとする人たちの努力には目を奪われるのだ。
ぼくはモンゴルに行ったとき、モンゴルの人々がわかりやすくチンギスハンの話で盛り上がってくれるのが、やっぱり一番うれしかったよ。
ウランバートルならふつうにステーキも野菜も食えるんだぜ、といってフランス料理の店を紹介されたけど、別にそこまでうれしくはなかった。もっとも「もてなしたい」という気持ちは十分に伝わったからニコニコしておいしく食べたけど。
「それはほんとの日本じゃない」なんてことをいうのも言葉に力があってよいのかもしれないけれど、ぼくは、フジヤマ、アサクサ、カブキ、オタクを楽しみに来る人たちには、これらをきちんと並べて楽しんでもらいたいな、と思うタイプの人間なのだ。
気に入ったらまた来てくれる。
気に入ったら「もっと深い部分」を学んでくれる。
講演するために東京に来ている。
ぼくは「病理医」として、「病理の勉強」を話すことを期待されている。
けれどもぼくはいつだって、「画像と病理の話」という、病理の本丸からは少しだけ外れた部分に関する話をする。
だってその方が臨床の役に立つじゃないか。
その方が面白い話ができるんだもの。
そう思って長年やってきたのだ。けれど、心の中にちくりと、とげがささっている。
「病理をやってほしいと思う人たちの前では、病理の話をきちんとしないと、かえって不親切なんじゃあないのかな」。
ちょっと悩んで、PCを開き、Facebookのメッセンジャーを使って、年下の師匠に尋ねてみる。
「どう思います? 先生。ぼくはやっぱり、もう少し、病理の話をきちんと話すべきでしょうかねえ」
すると彼はすぐにオンラインになって、短くこんなメッセージを送ってくるのだ。
「市原を見に来た人たちには市原を出してあげてください。」