この記事を読む大半のひとたちにはなんだかどうでもいいことだろうな、とは思うのだが、そういえば一度も書いたことがなかったので、今日は、
「病理専門医という資格をとる方法」
について書く。そんなの関係ねぇという人も、「ハムスターが車輪を回しているのを眺めていると落ち着く」、みたいな寛大な気持ちでこの記事を読んで欲しい。
大前提として、現在のところ、「病理専門医」という資格がなくても、顕微鏡を用いて細胞を観察し、病気の種類を探ったり程度をはかったりすることはできる。
「病理専門医という資格がないと絶対に病理医として働けない」ということはない。
ここは勘違いされがちである。法的な拘束力もほぼないのだ。
事実、現在も病理専門医をもたずに、市中病院で病理診断業務に勤しんでいる人はいる。実数は把握できないのだが(病理学会の登録外なので)、ぼくが個人的に観察する限りで、狭い業界内にそれなりに、非専門医なのに病理診断している人たちがいる。
ま、少数だけど。
すなわち絶対にとらなければいけない資格ではない。
けれども、今後はだんだんそういうアバウトな働き方が難しくなるように思う。
専門医資格がない人が病理医として就職できる病院も、減ってくるだろう。
病院側としては、どうせ病理医をとるなら、専門医に向けてきちんと努力し、人間関係を築いた人を採用したほうが安心だと考えるからだ。
あと、刑事責任は問えなくても、民事的には「非専門医の未熟な医者に病理診断をさせた」というのはたぶん悪印象になると思う。
まあそんなわけで、病理専門医という資格は「とっておいたほうが無難」である。
ではどのようにとるのか?
とりあえず医師免許は必要だ。
そして、現在は、医学部卒業後の2年間で、「初期研修」をしておく必要がある。
病理の研修はいわゆる「後期研修」扱いなので、初期研修が終わっていないとだめなのだ(抜け道もあるようだが)。
初期研修のときには別に病理診断を勉強しなくて良い。
さまざまな医者の仕事を学んでおくといいかもしれない。最初から病理漬けでもいいけれど、ま、このあたり、好き嫌いもあるし、様々な事情もある。詳しくは今日は書かない。
さて、後期研修からいよいよ、病理専門医への道がスタートするのだが、このとき、「努力」とともに、「人間関係や職場関係をきちんと構築する」ことが必要となる。
「のぞましい」ではなく、「必要」。注意してほしい。
病理医になるには人間関係が必須なのである。
なぜかというと、病理専門医の受験資格の中に、
・解剖を30回やる
というのが含まれているからだ。
解剖というのは基本的に、きちんとした病院で、多くの人々と連携しながらではないと経験することができない。初期研修をおえた医師たちがいきなり解剖をすることは許されない。
無資格の人間に解剖をさせるほど、日本の司法制度はポンコツではない。
独学で病理の勉強をすることは可能だけれども、未経験者がひとりで剖検をすることだけは、法的に不可能。
つまりは指導者が必要である。技師との連携も要る。
「司法」と「協力関係」とでガチガチに守られた解剖という極めてマニアックな行為を、病理専門医の試験を受けるまでの間に30回も重ねなければいけない。
となると、「絶対に病理専門医指導するマン」の元で研修しないと、話にならない。
だから病理専門医になるためには人間関係の構築が必要なのである。
なお、奇妙なことに、病理専門医という資格をとるにあたり、「解剖以外の実務経験」はほとんど問われない。
まあ制度上は、「組織診」という、普通に顕微鏡をみて診断を考えた経験が5000件以上必要だ。
また、「迅速診断」といって手術中に診断した回数が50件以上必要。
さらに「細胞診」という少しやり方の違う検査の経験も1000件以上必要ではある。
けれどもこれらを、専門医の受験時に事務局に確認させる方法がない。
5000件のレポートを添付するなんて不可能なのである(迅速診断50件くらいなら可能だけれど)。
だからこれらは自己申告である。5000件診断しました~と言い張ってしまえば受験は可能だ。
「ということは……組織診5000件みましたとうそをついて、試験を受けている病理医もいるってことですか?」
ご心配もごもっともだがそういうことはまずありえない。
なぜかというと、解剖を30体も経験させてもらった経験がある病理医のタマゴであれば、組織診はほぼ間違いなく10000件以上みているからである。
組織診5000件というしばりよりも、解剖30件のほうがはるかに「経験するのが難しい」。
だから解剖30件をこなしていれば、ほかの用件はたいてい満たせている。
つまり解剖以外の受験資格などというのは、あってないようなもの。
とにかく今の時代、解剖を30回経験する場所を探すことが一番大変だ。
組織診5000件というとぼくが1年に診断する量よりも少ない。
病理専門医の仕事の大半は、いまや、プレパラートをみて診断する「組織診」だ。解剖は主たる業務ではない。
それなのに、病理専門医の受験のためには、「今や主戦場ではなくなってしまった」解剖の件数ばかりが求められるのである。
解剖という業務の担い手が少なく、病理専門医の双肩には医療界の解剖の半分以上が乗っかっている。だから、病理専門医になるためには解剖のことをきちんとこなしておかなければいけない。
けれどもいざ、病理専門医になると、ほとんどの時間は「解剖以外の業務」で暮らしていくことになるのだけれど……。
さて、首尾良く解剖30件以上を達成し、まじめに顕微鏡の訓練をしていれば、いよいよ病理専門医を受験できる。
けれどもあとひとつ、受験資格のためにやっておかなければいけないことがある。
それは講習会の受講だ。
特に近年だと、遺伝子を扱う病理医になるための講座などを受けておかないといけない。講習会の受験を忘れていると、専門医になるためのテストを受けられない。
講習会だけはほんとうに気を付けて欲しい。
現在、病理専門医になっている人たちは、必ずしもこの講習会を受けていない。昔はそういうしばりがなかったからだ。
だから、かなり人のいい、熱心な指導医であっても、研修医に講習会を受けさせるのを忘れることがある。
申し訳ないがここは受験生の自己責任だ。指導医のせいにはできない。
受験生諸君は絶対に忘れないようにしてもらいたい。
で、最後に、病理専門医になるための筆記試験+面接があるわけだが……。
この試験、ここまでたどり着いている医師諸君であれば、それほど難しい試験ではない。合格率は何割くらいだろう? あまりよく知らない。7割くらいだろうか?
まあ合格率7割の試験なんて楽勝だろう。そもそも医学部の入試の合格率が2割くらいだったのだから。
それに比べれば楽勝だ。試験を通るために生まれてきたような頭脳を持っていれば、まず大丈夫。落ちない。
試験内容についても、過去問の一部は公開されていたり、先輩達から伝わってきたりする。まあ一部は公開されないのだけれど。
めちゃくちゃにまれな病気を答えさせられたり、架空の解剖症例の診断書を書かされたりする。
けれど病理の研修をきっちりやっていれば大丈夫だ。全く問題ないだろう。
……蛇足だが、たとえば病理以外の分野の人々が病理専門医の試験を受けるとする。
内科医。外科医。放射線科医。腫瘍内科医。誰でもいい。
他科の医師では、絶対に合格できないといわれている。仮に病理が趣味で、病理の本を100冊くらい通読していても、不可能だろうとされる。クイズ王も病理専門医だけにはなれないだろう。
病理診断というのはそれくらい、マニアックで、高度の知識を必要とする。けれども、適切な人間たちの中で、顕微鏡をきっちり3年間くらい見た、まじめな医師であれば、合格率は7割(たぶんそれくらい)。
まああんまり心配しないでほしい。ウェルカムトゥようこそ病理パーク。