まあいつもマニアックかもしれないけど。「病理の話」だもんね。
でも今日はいつもに輪をかけてマニアック。
だって菌の話だからね。ピロリ菌の話。
ヘリコバクター・ピロリ菌は、WHOにも認められている「胃がんの原因」として有名だ。ただ、実際のところ、ピロリ菌がいるからすぐに胃がんが出る、みたいな簡単な話ではまったくない。そこのメカニズムはかなり複雑である。
でもそこは今日はおいとく。複雑だから。複雑とマニアックは微妙に違う。
ピロリ菌は胃酸の中にいても生きていけるナゾ菌だ。
歴史的には「まさかpH1くらいの強酸環境に菌がいるわけないじゃん」と思われていたので、なかなか発見されなかった。
で、ウォーレンとマーシャルによって、ようやく発見され、報告されて、彼らは後にノーベル賞をとるわけなんだけど……。
そのことを学生時代に習ったときに、ぼくはこう思った。
「ハァー、塩酸の中にも生きていける菌がいるのか、すげぇな、ピロリ菌」
でもこれは正確では無かった。
塩酸の中で生きていける菌は、「ピロリ菌」ではなくて、「ヘリコバクター」である。
ヘリコバクター・ピロリ菌だけが生きていけるわけではない。
ヘリコバクター・ハイルマーニ菌みたいな、「ピロリじゃないけどヘリコバクター」という菌も、やっぱり胃酸の中で生きていけるのである。
……ね、マニアックになってきたでしょ。知らんがなと思うでしょ。
でももっとマニアックな話をするからね。
ヘリコバクター・ハイルマーニ菌は、ピロリ菌とは異なり、そう簡単には見つからない。一番の理由は感染頻度の低さ。
そして、見逃せないもう一つの理由もある。
つい最近まで、ピロリとハイルマーニを見分けられる病理医自体があまり多くなかったのである。
今にして思えば、ハイルマーニ菌のほうが、より「ねじれていて」、より「長い」。
「ヘリコバクター」は「ヘリコプター」と同語源で、「くるくるねじれている」みたいなニュアンスを含む。
でも、日頃ぼくらが見るピロリ菌はそこまでねじれては見えない。
これに対してハイルマーニ菌のほうはわりと素人目でみても「きちんとねじれている」。
つまりはハイルマーニのほうが、より「ヘリコバクターらしさ」を有している。
だったらピロリとハイルマーニを見分けるのは簡単そうに思えるけれど……。
実際、なかなかぼくらはハイルマーニの存在に気づかなかった。
なぜかって?
「胃酸の中で生きていける菌は、ほぼピロリ菌で間違いない」みたいな先入観にすっかり染まっていたからだ、と思う。
今日もっともマニアックな話をする。
「ハイルマーニをピロリと見分けられる人がなかなか現れなかった」というのは、人間が行う診断の限界と可能性を表している。
「この強酸環境下に、別種の菌がいるはずないだろう」という思い込みをもったまま顕微鏡をみると、普段は非常に細かい核とか細胞質の形状を見分けているはずのプロの病理医であっても、ピロリとハイルマーニの明らかな形の違いを見分けられなくなる。
先入観は「目」に影響するのだ。
思い込みを排して、無心でしっかりと形態を分類すると、今まで気づいていなかった差異に突然気づくことはある。
そして、ここが難しいところなのだが、逆に「絶対差があるはずだ」という先入観で脳をブーストすることで、わずかな違いが目に飛び込んでくる、なんてこともある。
学生には見分けられない形態の差を、プロの病理医が見分けるというのもこれによる。
見るという活動は奥深い。脳とセットで語る必要がある。
そして、「診る」という行動はそれ以上に深いのだが……それはまた別の話。