今まさに猛然と師走の仕事を進めているところで、年始のぽやーんとした空気の中で読むような文章を書ける自信がない。心がざわめいている。キーボードに置いた手が落ち着かない。
高尚な題材を練るのはあきらめて、ささっと書き流そう。
今日は、ブログを書くことを単なる「こなすべきタスク」ととらえている日だ。
……そういう日がたまにある。
「そういう日」に書いた文章は、あとで読み返すと、わかる。
きっと読者の中にも気づく人間はいるだろう。
「あ、流したんだな」。
ばれている。
それがちょっと、恥ずかしい。
いやだいぶ恥ずかしい。
とりあえずささっと書いた、という文章は、見ていると雰囲気でだいたいわかる。人の文章も、自分の文章もだ。
忙しいから仕方がない。
いつもいつも高尚なことを考えているわけではない。
ネタの鉱脈を毎日掘っている人間ばかりではない。
お金をとって読んでもらう本ならまだしも、無償でやってるブログなんだから、たまにはそういう「書き殴り」がまじってもしょうがない。
だいいち書いているのはプロのライターじゃなくて素人なんだ……。
さまざまな言い訳を思い付き、脳内でフォローに入る。実際に口に出して言ったことがあるかもしれない。人に対しても、自分に対しても。
言い訳をしたところで、恥ずかしさは消えない。
理屈というより情念の問題だ。
ネタがないなら書かなければいい、それはわかっている。
けれども。
「毎日更新」を掲げているからと、あるいは読んでいる人がいるからと、なにやら使命があるからと、出ない文章をひねり出そうとする。
こういう「モード」を経験するようになって20年が経つ。
最初に買った「ホームページビルダー」のヴァージョンはいくつだったろうか。
ぼくは何も成長していない。
「人間としての弱さを出してくるタイプの作家」というのがたまにいる。
「書けない、書けない」と悩んで愚痴っている物書きを見かける。
けれども、ぼくとはどうも悩みの次元が違うようにも思える。
だって、彼らは、いざ何かを書き始めるとめちゃくちゃにいいものを書くからだ。
「書けない書けない」とか言いながら、そのうちに、いつのまにか、すごいものを書いている。
たぶん、「書けない」のレベルがぼくなんかとは違うのだ。
例え話だが、ぼくが彼らの脳内にいっとき寄生して、アイディアを全部掘り出してみたら、きっと「なあんだ、いくらでも書けるじゃないか!」と思えるほどのネタの宝庫が発掘されるのではないかと思う。
それでも彼らは「書けない」のだ。だって、彼らのレベルは、「その程度のネタ」で書くことをよしとしていないから。
世間に求められているレベルが高いから、そのレベルに応じた作品ができあがるまでの間、「書けない」と苦しんでいるプロの物書きたち。
彼らの懊悩と、ぼくの「ブログのネタ思い付かねぇなあ」とを同列に並べてはいけないのではないか、と思う。
「そんな簡単なことで悩んでいたのかあ。」などと笑うひとは、物事の難しさに気づいていないだけだったりする。
「どう考えてもこっちが正解だよね。」などとイキるひとは、あまりよく考えていなかったりする。
「なぜそんなことをするのか、全くわからない。」と眉をひそめるひとは、他の物事について、何か「わかったこと」があるのだろうか。
「書けない」と気軽に言いながら、今日こうしてしれっとブログの記事を一本完成させたぼくは、実はまだ「書いたことがない」可能性がある。
「書けない、書けないと言いながらも書けたよ」なんて言いながら、本当はまだ書けていないかもしれない。
ぼくは今までブログを書いたことがあるのだろうか?
ぼくは今まで、文章を書いたことがあるのだろうか?