2019年1月8日火曜日

病理の話(281) 抱き合わせ臓器

体の中には、「抱き合わせ」構造がけっこうある。

たとえば、「骨」。

骨といえば誰もがご存じ、人体をしっかりと支える柱の役割をしている。骨組みという言葉があるくらいだ。

頭蓋骨とか肋骨のように、中に入っている脳や肺をダメージから守る働きもしているし、背骨や腕・脚の骨のように、芯となって構造を支える働きもする。

けれども骨の役割は「物理的な支え」だけではない。

骨の中には、骨の固い成分が少なくなって代わりに脂肪が充填された「骨髄」と呼ばれる柔らかめの組織があり、そこでは白血球や赤血球、血小板などが日々作られている。

骨は体を支えるだけではなくて、造血と呼ばれる全く別の働きも担っているのだ。

このことは、よく考えるととても不思議である。

ビルを建てるときに、鉄骨をしっかりと組み上げる際、わざわざ鉄骨の中に配電盤を最初から仕込んでおこうと発想する建築家がいたら、なんとなく達人のフンイキがする。

大工さんたちはたずねるだろう。「その装置、骨組みの中に入れないといけないものなの? どこかほかの場所でやっちゃだめなの?」

実際ぼくはちょっと不思議に思う。なぜ造血をわざわざ骨の中で行わなければいけないのだろう。人体の中にはさまざまな臓器がある。肝臓だって膵臓だって、「造血工場」の役割をしようと思えばできたはずだ(実際に限られたケースでは肝臓が少量の造血を行うことはある)。

けれどもなぜ骨なのだ。

骨は体を支えていればいいじゃないか……。



全身あちこちで、同時多発的に造血が行われることが大事なのかもしれない。血液のように全身を循環するものを、どこか一箇所で作り続けると、血球成分の濃度に差ができてしまってヤバかったのかもしれない。

あるいは、やはり肝臓とか膵臓みたいなやわらかい場所ではなく、骨の中でしっかり守られていることが大事なのかもしれない。それだけ外部刺激から保護してあげないといけなかったのかも。

また、骨の周囲にある成分が造血に都合がよかったのかもしれない。カルシウムとかリンみたいな物質を触媒的に使った方が効率がよいのかも。

理由はいろいろ考えられるけれどぼくは答えをもっていない。免疫絡みかもしれない。微小環境的な理由かもしれない。わからないのである。

事実として、「骨の中に造血の仕組みを抱き合わせた生き物が、いまこうして、生き延びている」ということだけははっきりしている。

何か、有利なことがあったんだろうね。




このような「臓器に複数の機能を持たせること」は、人体のお家芸だ。

副腎には皮質と髄質という異なった成分が共存していて、皮質ではステロイドホルモンが、髄質ではいわゆるアドレナリン的なホルモンが別々に産生されている。

膵臓には膵液を作る細胞のほかに、ランゲルハンス島と呼ばれるホルモン産生工場が別に配置されている。

甲状腺の中にもC細胞という変わった機能をもつ細胞が住んでいる。

「ひとつの臓器にひとつの役割」のほうが、DNAがプログラムを組む上ではラクだったような気がするのだが……。

たぶん、ひとつの臓器にいくつかの役割を持つ細胞を共存させることに、なんらかのメリットが存在したのだろうな。

「トマトとイタリアンパセリをいっしょに育てると虫がこなくなったりトマトの生育がよくなったりするのよ」みたいな話なんだと思うな。