2019年4月17日水曜日

病理の話(315) 風評に負けると負けというゲーム

今日は、病理の話ではなく放射線診断科の話です。

でもまあ病理の話でもある。





以前にRad Fan(ラドファン)という名前の、前前前世が好きそうな名前の雑誌に原稿を載せてもらった。

ラドというのはRadiologyすなわち放射線科の意味だ。

ぼくの寄稿した原稿は、画像と病理の関係について。

http://www.e-radfan.com/shop-radfan/69073/
「病理診断は画像モダリティのひとつに過ぎない ~臨床画像・病理対比~」

けっこうがんばった。本文はいろんな人にほめられた。

ところが、表紙に載ったぼくの原稿タイトルに誤植があったらしい。表紙なので校正原稿をみることもなかった。言われなければ気づかなかったし、なかなか笑える誤植だったのだが、編集部は青くなったようだ。いろんなお詫びの言葉が届いて、かえって恐縮してしまった。

その後、翌月の号が送られてきた。誤植訂正を掲載したので見て欲しい、とのこと。

律儀だなあと思いつつ、翌月号に目を通した。

こうして偶然読んだ雑誌の中に、なかなか興味深い特集が載っていた。

http://www.e-radfan.com/shop-radfan/69508/
「到来する激動のAI時代。放射線科存亡の危機?」




医療系の人間なら、誰もが少しは気にしたことがあるだろう。

AI(人工知能)によって人間の仕事が奪われるとか、逆に仕事がラクになるから歓迎だとか、まあいろいろ、のんきな未来予想図が描かれまくっている昨今。

病理医のぼくもこの話題には何度も晒されてきた。

しかし医療職の中でもっとも人工知能が気になるのは、放射線診断部門だろうと思う。

CTやMRIはコンピュータ解析との相性が抜群にいい。なにせ元からデジタルデータ。アナログ画像を取り込みする手間がないだけでも他部門よりはるかに(AIにとって)有利なのである。

RadFanというくらいだから、放射線科好きの人間達が読む雑誌だ。

そこに、「放射線科存亡の危機」というタイトルで対談を組まれたら、読まずにはおれまい。




内容自体はさほど新しくはなかった……というかぼくもさんざん勉強したので大部分のことはわかっていた。確認作業、といったかんじ。

ただし、1箇所、あーそうだよなーと納得する内容が書かれていた。




・将来、AIが医療現場に入ってきたとしても、やはり従来から言われているように、プロの放射線科医の仕事を完全に代替することはないと思われる。

・けれども、放射線科の仕事をどこまでAIにまかせるか、という問題を実際に考えて決断するのは、おそらく放射線科医ではない。

・放射線科医とAIを比べて、どちらを選ぶかと考えるのは、病院の経営側や、放射線科医たちと一緒に働いている臨床医たちだ。

・放射線科医は知っている。AIよりも放射線科医のほうが、細かく診断にニュアンスを込めることができるし、説明も非常に上手に行える。しかし、その恩恵を、臨床医たちは理解しているだろうか?

・現実に、今、中小の病院では常勤の放射線科医が不在である。そもそもプロの放射線科医を雇えない病院では、バイトの放射線科医が診断をしていたり、あるいは放射線読影という作業自体がほとんどなかったりする。

・つまり、多くの病院で働く臨床医や経営者にとって、放射線科というのは、プロの放射線科医が考えるよりも「安易」で、「雑」かもしれない。

・もともと放射線科にあまり依存していない病院において、AIが登場すると、現場の人々にとっては単純に「プラス10点」が得られる。

  放射線科医なし 0点 → AI 10点。

・これに慣れた人々は、そこからさらに、放射線科医あり 15点 という状態へのステップアップをはかるだろうか? はかってくれるだろうか?

「人件費とか、効率とかを考えたら、プラス10点で十分だわ」

と、経営側に言われてしまったりは、しないか? 臨床医だって、「まあ細かく読んでくれたらそれにこしたことはないけど、AIが基本的なところを読んでくれるなら、人間の放射線科医がいなくてもいいよ」と言い出さないだろうか……?





まあだいたいこういうことが書いてあった。完全にぼくの考えと一緒であった。

そして病理医も、きっと同じだろうな、と思った。




AI時代において、放射線科医や病理医が「今のまま働き続ける」ということはあり得ない。

ただ、これについては、現在60代以上の医師ならばとっくにご存じだったはずだ。

そもそも放射線診断学は30年前とはまるで別モノである。単純X線の使用価値が漸減し、HRCT, MRIの発展が著しく、撮影枚数が増え、造影検査も豊富になり、読影内容だってかつてとは比べるべくもない。

病理学も、電子顕微鏡の使用頻度が減り、免疫染色が隆盛となり、遺伝子診断が導入され、WHO分類などは次々とうつりかわった。

そもそも30年前の病理医の仕事なんてのは今ほとんどなくなってしまっている。

もともと、診断部門というのは、そういう分野なのだ。新しい機械が登場するごとに、仕事が新しく変わっていった。




だから今回も大丈夫、というのはちょっと話を簡単にとらえすぎている。

AIによって無くなる仕事内容というのは、今まで我々が「一番頭脳を使ってきた部分」かもしれない。

つまり、「もっとも飯の種になっていた部分」であり、「病院経営者が金を払う部分」だったのだ。

放射線科医や病理医が、いくら「自分たちは診断学に必要ですよ」と叫んでも、病院経営者の側が、「AIまでで十分だな」と判断されたら、

ぼくらの仕事はなくなっていないのに、給料はなくなってしまうのである。





てなことをこの2、3年ずっと考えてきた。

放射線科医も病理医も、「研究的な側面」を大事にすることで、今後もきちんと価値を発揮し続けていける。それは間違いない。

研究的、というのは、開拓者精神をもって新しいジャンルを切り開いていくという意味だ。ある意味、クリエイター的と言い換えてもいいかもしれない。

その上で、ぼくのように、市中病院に勤務していて、大学ほど研究を求められない立場にいる病理医、あるいは放射線科医たちは……。





うん、危ないと思う。だから今のうちに、クリエイターの視点、ケアの視点、コミュニケーターの視点、さまざまな視点を自分に付加しながら、AI時代にどうやって職業を変えずに生きていくかを、考えておかないと、もったいないんじゃないかなーと思うのだ。





これほど将来性があって野心的でチャレンジしがいがある分野もそうそうない、と、ぼくは思うのだが……。ま、とらえかたは人それぞれである。