先方のミスで、ぼくのメールが見逃されていた。
「迷惑メールに入っていたのかもしれません」などと言われたが。
それがウソだというのははっきりわかった。
ぼくのメールが迷惑メールに入っていた可能性は、確かにゼロではない。
でもぼくは、先方が単純に間違えたのだろうと思った。
根拠はない。
けれども、しいていえば、電話がかかってきたこと。それが根拠だ。
電話口でもわかるくらいに汗ばんだ人から、あわてた声で。
ああ、この人は、間違えたのだろうと思った。
ぼくは、
「確かに、迷惑メールとして判定されたのかもしれませんね」
と答えた。つまりは怒らなかった。
どういう対処が「正解」なのかはわからないなーとも思ったが、
「責めたり、なじったりして、状況をいい方に持っていけることはめったにない」
という格言のような文章が、最近ぼくの脳内に掲げられており、ぼくはそれに従った。
人間活動を俯瞰すると、数パーセントの人為的なミスというのは絶対に防げない。
誰かを怒っても、けなしても、今後につながることなんて、ない。悪い人なんていないのだ。
最近そういうことをよく考える。
ぼくはデフォルトだともっと怒りっぽい人間なのだと思う。
でも最近は、大脳の表面による抑制がうまいことかかっている。あんまり怒らなくなった!
……ただ、見る人から見ると、ぼくは怒りを抑えているつもりなのに、ぜんぜん抑えられていないのだという。
「今、怒ってるでしょう。」
「口数が少なくなっていると、ああ、怒っているなあと思いますよ。」
難しいな、機嫌が悪いときに黙り込んでもいけないのか。
そこでぼくは一計を案じた。「なるべく怒らない」だけで通じないと言うのなら、なるべくニコニコしていることにしよう。
名実ともに中年になって、よかったなあと思うことがひとつある。
バカみたいにずっとニコニコしていても、不自然に見られなくなったこと。
ぼくは、最近、ずっとニコニコしている。
万が一にも不機嫌を悟られることのないように。
……そもそも、不機嫌で居続けるほどの体力も、もうないのだ。
残された選択肢はそんなに多くない。