ぼくは変化していなくても、ぼくの周りが変化していれば、ぼくはやはり変わっていかざるを得ない。
中動態である。悪人正機でもよい。
このあたりの考え方……自分を形作るものは自分ではなく、周りとの「かねあい」なのだということ……が、ようやく複数のことばで腑に落ちるようになってきた。
まあ腑に落ちたからといって、すべてが消化・吸収されて栄養になるわけではないのだけれど……。
さんざん人の口から聞いていた言葉をなかなか実感できず、自分で体験してはじめて納得する、ということはしょっちゅうだ。
よくある「定番の観光地」に行く度に思う。
あるいは、「誰もが感動した映画」を見たときも思う。
あまりに多くの人々がよい、よいと言う、人気の、混雑した、有象無象の感想が行き渡りすぎたコンテンツ。ぼくのようなあまのじゃくは、「すっかり有名になったそれ」を消費することに二の足を踏んできた。
でも最近は違う。
世で人気を博するものはたいていいいものなのだ。それがわかってきた。
人がいいぞと言う言葉だけでは腹オチしない。
だったらなるべく自分でも味わってみる。
体感して、実感する。
別にぼくにとっては3月が4月になったからと言って何か変わるわけでもないのだが、妙に忙しい。
そしてぼくはこの一文を見て、ああ、だから世の中の人々は、年度替わりに忙しい忙しいとこぼしていたのかあ、と、ようやく納得する。
ぼくはたったこれだけの納得を得るために40年生きなければいけなかった。
他人の考えていることがたいてい妥当なのだと気づくのに、40年もかかってしまった、ということだ。