2019年4月18日木曜日

だいぶ育った

安く容量が多いペットボトルを買いだめておき、職場に持っていって日中飲んでいる。

水筒にお茶をいれてもっていけばいいじゃないか、という考え方も大変よくわかるがぼくは買って飲む飲料の味が好きなのだ。

麦茶を飲みたい日ばかりではない。

緑茶にしたい日もある。

紅茶を選ぶときもある。

いちいち違う茶葉を買いそろえて、ときおり作り分けてストックするのがめんどうだ。その分、脳がカロリーを使って疲れるだろう。

だから買った方が経済的だ。ぼくはそういう言い訳を用意している。




こうやって書くといかにも毎日違うお茶を飲んでいそうなふんいきにみえる。

しかし、実を言うとだいぶ長いことジャスミン茶ばかり飲んでいる。

かつて、息子と沖縄に行って、現地で買って飲んださんぴん茶がうまかったなーと思って検索をした。

なんのことはない、ペットボトルのさんぴん茶はジャスミン茶とほぼ同じなのだ。

知らなかった。それ以来、セブンやローソンでよくジャスミン茶を買う。





ジャスミン茶は、沖縄の思い出の味がする。

うそだ。しない。

ぼくは、そこまで思い出がしっかり残るほうではない。

ジャスミン茶を飲みすぎたせいで、さんぴん茶の記憶はかえって薄れてしまった。

写真を撮ると、写真の画角で記憶されてしまい、実際に網膜に映っていたときのイメージがどうやっても思い出せないのと似ている。

五感が瞬間に捉えたニュアンスは、あとから振り返るごとにどんどんダイナミックに変化していく。




息子に聞いてみたことがある。

「覚えてる?」と。

すると彼はいう。覚えてるよ。

何を覚えてる?

それは忘れちゃった。

でも覚えてるの?

そうだね。沖縄行ったなってのは。




記憶とはそういうものだと思う。