お気づきだろうが少し前に、このブログで2日に1回更新している「病理の話」シリーズの記事すべてに副題を付けた。
1日でガッとやってしまったら、調子がすべていっしょになった。なんとなくへらへらしているかんじである。
タイトルそのもののクオリティはともかく、いざインデックスを付けてみたら、まあ、やっぱ、こっちの方が見やすいかな、と思う。今まで無骨に「病理の話」だけで通してきたが、最初から副題を付けておけばよかったかもしれない。
まあいいんだけど。
副題を付ける際に記事をすべて読み返した。300本程度の記事には、ある程度のパターンがあって、ただそのパターンは思ったよりも流動的であった。書いたぼく自身はもっと同じ事ばかり何度も書いているのかと思っていたが、それほどでもなかった。
学問の話というのはネタがつきないものなのだな。
どちらかというと、病理の話以外の、合間の話のほうがネタ被りしているかもしれない。
先日「不労所得で生きていく話」になったとき、その場にいた4人のうち3人までが、
「働かずにカネだけ入ってくるような暮らし、いつまで耐えられるんだろうか」
と気にしていたのがおもしろかった。ぼくも全く同感だった。
働かずに食えるという状況から得られる安心は確かにデカいだろう。
ラクでもあろう。
でも、自分が何もしていなくても自分の生活が回っていくことに、ぼく自身が耐えられるだろうか。
何もしていない自分が生み出せる発想なんてほとんどないことに、耐えられるだろうか。
ぼくは無理ではないかと思った。
ブログがいい例である。
「病理の話」があるからこそ書けるのだ。病理がなければぼくはこんなにブログを書き続けられない。
「働かずに食うメシはうまいか?」という質問がある。
働くこととメシのうまさとを混同している。あまりいい表現ではない。
どうせ聞くならこうだろう。
「働かずに脳をはたらかせられるか?」
よいとも悪いとも言わないが、ただ想像してもらいたい、
「脳をはたらかせられない状況」
それにあなたは耐えられるか。ぼくは耐えられない。おそらく誰も耐えられないと思う。
まあそんなことは実現するわけがないので、杞憂なのだけれども……。