患者に対して直接話しかけ、触れ、胃カメラやCTなどを施す「主治医」。
その主治医は内心いろんなことを考えながら検査を行っている。
少し気弱そうな患者がやってきた。
胃カメラの画面を、主治医だけではなく、患者ものぞきこんでいる。
カメラが胃にこすれて、ちょっと血が出ているような場所がある。
患者はびっくりする。
「ほへは、ひへふは。」
カメラを口にくわえているからこういう発音になる。実際には
「これは、血ですか。」
とたずねているのだろう。
主治医は答える。「いやー今ちょっとカメラがこすれて血がにじんでいるだけですね。」
患者はハラハラしている。
ところがほかの場所にも血がにじんでいる。
この場所はカメラがこすれるような場所ではない。
患者からも赤いものが見える。
「ほへほ、ひへふは。」
主治医は答える。
「……ここはなんでしょうね、少し血が出やすくなっているのかもしれません。」
すると患者の頭の中には、
「ここはなんでしょうね」
の一部だけがリフレインされる。
(なんでしょうね、とはなんだ。この先生にもわからないのか? もしもいやな病気だったらどうしよう)
不安そうになった患者の背中を看護師が撫でる。
主治医は横目で、それに気づく。
(そこまで気にするほど重大な病気ではないんだけどなあ……胃カメラがこすれてない場所なのに、血が出ているのは、たしかにちょっと変なんだよなあ)
患者と、主治医の、思惑が交錯する。
(ちょっとでも気になるなら、きちんと確認してほしいなあ。)
(念のため、つまんで病理に出しておくか。)
胃カメラの先端からマジックハンドが投入され、血が出ていた場所が少しだけむしりとられる。
小指の爪の先よりもさらに小さいくらいの、粘膜の断片が、ホルマリンの入った小瓶に採取される。
病理検査室に届けられる。
主治医は、病理医にむけて、依頼書を書く。
「念のためです。oozing (+).」
ウージング、というのは、じわじわと出血している、という意味だ。
病理医は依頼書を読む。イラストが描いてある。あるいは、内視鏡の写真が添付されている。
文面を読む。
「念のためです」という文章から、主治医の性格を考える。この人、がんを疑うときには、毎回きちんと「がん疑い」って書いてくる人だよな。
それなのにわざわざ「念のためです」。
あんまりがんだとは思っていないんだろう。それでも、安心のために……。
おそらくは、患者と主治医、両方の安心のために、病理検体を採取したのだろうな。
そこまで読み切る。
読み切れないときは主治医に直接電話をするのだが、もう、付き合いも長い。だから、わかる。
ここで細胞をみて、レポートに、
「悪性所見なし。」
だけ書いて、おしまいにしてしまう病理医は、……まあ、うん……間違っちゃいないんだけど。
ぼくは個人的には、AIに食われてしまえばいいと思っている。
ここまでの流れを予測して、
「慢性の炎症が存在する。上皮には再生変化あり。粘膜筋板が軽度肥厚している。癌の所見はなく、再生に伴う変化のみ」
と、細かく解説文を書いておく。
すると、主治医は、「わかる」。
(ああ……患者に説明しやすいように、いっぱい書いてくれたんだなあ)
そして、主治医は、病理報告書をみながら、患者に説明をする。
「えー、胃炎があるようです。この場所には。病理が、慢性の炎症と書いてくれました。何度か炎症を繰り返しているので、上皮に再生変化というのが見られています。さらに、炎症を繰り返した結果として、粘膜筋板という構造も厚くなっている。つまりこれらはいずれも、胃炎による変化ですね。粘膜がもろくなって血が出たのも、胃炎によるものでしょう。がんはなかったですね。」
「病理医が患者に触れる瞬間」というのはこうして訪れる。
実際に触れていないじゃないかって?
うん、まあ、そうともいう。けれど、どうだろうな。
ぼくは病理医も十分患者に肉薄できる仕事だろうと思っているけれどもね。