2019年5月16日木曜日

イングラム派なのでアルフォンスというともにょる

連休明けはちょっと集中して仕事をしすぎて、”封印が解かれた直後に猛烈な力を持て余して暴れる伝説の幻獣”みたいになってしまった。いっぱいカタが付いたので、その意味ではよかった。

……今、何に驚いたって、ぼくのATOKが「猛烈な力を持て余して暴れる伝説の幻獣」を一発で変換したことに驚いた。ふつうの成人のパソコンだったら、「げんじゅう」→「厳重」と変換するだろう。まったく、日頃、どういう入力をしているんだねキミは。

なお、今の一文にしても、「ふつうの成人」のところは「ふつうの星人」と変換された。まったく、いやになる。まあ、一貫性はある間違え方だけれど。



「肝生検」と入力しようと思ったら「管制圏」が出てきた、なんてのはよくある。

「非特異的所見」の序盤が「人喰い」と変換されるとアワワワってなる。

なーんてことを考えていて、ふと、思った。

キーボードを通じての「あるあるネタ」は、昭和の頃にはほとんど存在しなかったんだよなあ。

だってそのころ、変換ソフトがどうとかいう概念、いまほどはっきりしてなかったはずだよなあ。

じゃあ、今日の日記は、たかだか30年前には、絶対に書けなかった内容なんだろうなあ。

……書くほどの価値があるかどうかは、ともかく……。







今ぼくが当たり前のように動かしている神経や筋肉は、日常のさまざまな行動に対して、完全に最適化されてしまっている。

体のあちこちが、無意識下に連動している。

「機動警察パトレイバー」の中で、泉野明の操縦するイングラムが前方を指さすとき、腕を振り上げるのと同時に重心移動がなされているのをみて、シゲさんや遊馬が「動作が最適化されている」と感心する場所がある。

ロボットやレイバーがそれをやったら驚くわけだが、実際、人間はそういう「最適化」ばかりしている。

たとえば、ご飯を食べながら息を吸うことができるだろう。

しゃべりながらご飯を食べても舌を噛まないだろう(下品だけれど)。

誰かに呼ばれて後ろを振り向くときにどれだけ多くの筋肉がいっぺんに動いているか、ご存じか?

知らないというならば、どこでもいい、体のどこか一部分に、セロハンテープをはってみるといい。できれば、筋肉に沿って。

ただ後ろを振り向く、というだけの動作なのに、体中のどこにテープを貼っても、たいていそのテープが「つっぱったり、たるんだり」することに驚くはずだ。

人間は無数の機械の寄せ集めであり、それらは常に「連動」して、ひとつのものごとを成し遂げている。







ぼくのパソコンはぼくの入力スタイルに最適化している。

ぼくはパソコンを使って文字を打つ暮らしに最適化している。

ぼくは変換ミスをブログの記事に仕立て上げるくらいには最適化した生活を送っている。

ぼくは最適な暮らしをしている。健康であろうがなかろうが、文化的であろうがなかろうが、生きているだけで最適化している。

明石家さんまは次の娘に「いさい」と名付けるといい。ぼくらはもう最適なのだから。





最適でこれかよ。

やはり休日は、脳のリミッターを少しずらしてしまうようだ。