2019年5月21日火曜日

病理の話(324) AIを擬人化するとこうなるだろうなという話

メドメイン( https://medmain.net/ )という会社と協力することになった。

この会社はなかなか有名なのでご存じの方もいるだろう。

かんたんにいうと病理診断を支援するAIを作っている企業だ。CEOは九州大学の学生である。すでに多くのスタッフを抱えて働いている。プログラマーには優秀な外国人が並ぶ。

ぼくは彼らの一員にはならない。相変わらず、札幌の農協の病院に勤め続けて、JAから給料をもらう。顧問料とかもとらない。かわりに、「科学広報」に利用させてもらおうと思う。ふところにお金は入らないが、本気で科学のことを人々に伝えようと思ったら出て行くはずだった出費がだいぶ減る。その意味でぼくはとても大きく得をする。




病理AIは、将来的には今ある病理医の仕事を奪うだろう。しかしそうなれば病理医はまた違う仕事をすればいいだけの話だ。若い病理医は、積極的にAIのやることを手伝い、AIのために働いた方がいいと思う。これは、もしかすると、今までの病理医の働き方よりももっとおもしろいことになるかもしれない。





家事の苦手な人は、パートナーにこう怒られることがある。

「ちょっとは手伝ってよ。」

にがにがしい顔をして、こう答えよう。

「何を手伝っていいのかわかんないよ。料理も掃除も、そっちの方が得意だし、ぼくがやる前に、うれしそうに全部やっちゃうじゃないか。」

そしたらパートナーはさらに怒る。

「できることを見つけて働いてよ。」



今のたとえの、「家事の苦手な人」が、ニンゲン。

「家事全般を取り仕切るパートナー」が、AIだ。

さあ、ニンゲンが、AIと離婚せずにうまくやっていくにはどうしたらいいか?

(蛇足だけど、AIがいないところでがんばる、とか、AIなんて嫌いだからひとりで生きる、という選択肢は、たぶんもう我々には残されていない。AIと前向きな離婚はできない。離婚すれば破滅である

えっ? と思う人もいるかもしれないが、そもそもあなたはこの記事をスマホで読んでいるはずだ。パソコンかもしれない。これらはとっくにAIのカタマリだ。AIと離婚すれば文字通り路頭に迷うだろう。生きてはいける。楽しむこともできる。けれども、ふつうに、路頭で、迷うだろう。)




ニンゲンはAIよりもさまざまなことがヘタクソだ。

でも、ニンゲンはニンゲンなりに、できることを探し、はたらこうとする。

ニンゲンは、何かをして、役に立っていると思われたい。

理想的には、「そこにいるだけで」役に立っていると思われるのがいい。

「ただ、いる、だけ」で家庭の安心となれるような存在感を出せたら、最高かもしれない。そういう仕事も世の中にはいっぱいあるので、そういう仕事においては、AIはニンゲンには全くかなわない。

でも、「ただ、いる、だけ」は思ったより難しいので注意が必要である(名著「居るのはつらいよ」を参照)。

あと、AIと一緒に何かをしようと思ったら、「ただ、いる、だけ」では通用しない。

ちょっとは何かをしようじゃないか。そのほうが、AIだって悪い気はしないはずだ。




ぼくがメドメインでやることは、まさにこの、「AIと仲良くやっていくために、AIの役に立つ」ことだと思っている。

積極的にAIというグッドパートナーを手助けすることで、ぼくらニンゲンは、かえって良く生き残ることができるんじゃないか、と思っている。




手始めに、「病変の部分をマッピングしてAIに覚えさせる」という前時代の方法を改良しようと思う。

ディープラーニングによるスパーステクスチャ解析がようやく実臨床で使えそうな雰囲気がある。ぼくはこのことを感覚ではわかっていたが、観念がきちんと脳に入って、言語化できたのはついこの間のことだ。本当に優秀な人は世界のあちこちで「ディープテクスチャ」を解析している。ルイージが笑顔でこっちを見ている( https://luigi-pathology.com/ )。アーキテクチャを回転させながら、かりそめの機械学習をすすめて、ニンゲンを越えられない程度のAIを開発するのをやめさせなければいけない。日本中で行われている、「AIの足をひっぱるような家事」を、そっとたしなめていく。




AIというパートナーほど有能ではないけれど、AIと一緒にごはんを食べていたら、「やっぱりあなたがいないと、私はだめです///」と、AIがつぶやく日がくる。

ぼくはそういうニンゲンでいたい。ニンゲンはそういう存在であればいいなと願う。

これはあくまで病理の話だ。とてもまじめな、病理の話だ。