2019年5月17日金曜日

病理の話(323) 医者はマイナスをゼロに戻す仕事だと思われて久しい

体の具合が悪くなると、病院に行く。

普段はあまり行きたくない場所、それが病院。

ぼくらはたいてい、自分がいつも通りにしているときには、病院に行かない。行く必要がないし、行きたくもない。

何か、不都合が生じたときに、仕方なく病院に行く。

普段、100点満点で過ごしている、ぼくら。

あるいは、あなたの体感的には自分の体調を80点と採点するかもしれない。50点かもしれない。別に具体的な数字はどうでもいいのだ。

とりあえず今は、「平常を100点」として考えよう。

この100点が、90点とか、80点、さらにいえば40点とか30点になると、ぼくらは病院に行く。

普段よりもマイナス方向に偏ったときに、それをゼロに戻すのが、病院の仕事だからだ。





……クリエイティブな仕事をしている人は、「ゼロから何かを生み出す」などという。

だからぼくらはときどき、自重気味にいう。自嘲気味に、かな?

「ぼくらはマイナスをゼロに戻すだけの仕事だからさあ」





ただこのマイナスをゼロに持っていく仕事というのを、本気で考えていった場合に、実は思ったよりも奥が深いということに、ある程度中年になった医療者たちは気づいていく。





たとえば20点を100点に戻すのはとてもたいへんなので、できれば50点とか80点くらいのときに、早めに病院に来て欲しいな、みたいなことを言う。

これは「早期発見」というアイディアだ。





次に、100点が90点になり、80点になっても、本人が問題なく暮らしていけるやり方を探そう、みたいなアプローチもある。

これは「ケア」の一種である。介護やバリアフリーもそうだが、がんを抱えたまま生きることもそうだし、腰痛とどう付き合っていくか、みたいな話もこの視点で考えることになる。

無理に100点を目指さなくても満足度はあげられるのではないか、という考え方。






100点を120点にすることができるんじゃないか、というアイディアも、あるにはある。

人工知能の研究というのはここに含まれるような気がする。

AIというと、「人間の代わりになるか、ならないか」みたいな話ばかり取り沙汰されるけれど、局所的には人間の100点を超えていく可能性がある。これだって立派な医療なんだけれどな。






人間の行動・活動を点数に例えて、100点満点を定めておいて、そこを増減させるという考え方自体が、やや雑な例え話でしかないのかもしれない。

満点ってどういうことなんだろうな……と、意識変容を促すこともまた医療かな、と思う。

こういうことをじっくり、ゆっくり、考えていると、医療の根本には「自分のどういう状態をよしとするか」という、ほんとうの意味での

”自意識”

みたいなものがあるのではないかな、と思う。自分の体や人生を考えていく上で、何を健康ととらえ、何が起こったらどう対処するかと考えておくことは、立派な医療だ。

そこまで考えると、どうも医療というのは「マイナスをゼロに戻す仕事とは限らない」んだろうな、っていう結論が浮き上がってくる。じわりじわりと。