「note感謝祭」をYouTubeで聞きながら働いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=AB717GCv4mI&feature=youtu.be
文藝春秋や早川書房の人がnoteの企画でかなりおもしろいことをやっていてへぇーと思った。noteは今までのSNSと比べて「クリエイター率」が高いのだという。書くこと、そして読むことに対し抵抗が少ない人が多く集まっている。noteを使って新たな書き手を発掘したり(文藝春秋に素人が掲載される可能性があるなんて夢のある話だ)、逆にnoteを使って新たな読者を開拓したり、といった新しい商売の形がいろいろと提示された。
noteの優位性についてはある犬からも聞いたことがあった。これから何か文章で勝負するときにプラットフォームとして使うならnoteがいいだろうという話。そのことをそのまま、あるかなりでかいアカウントの人に伝えたら、彼はすぐにピンときたらしく、noteでエッセイをサラサラとかきはじめ、1週間もしないうちに編集者を捕まえて書籍化までたどりついてしまった。ぼくはそのときnoteの勢いを実感した。そして同時に、
「文芸は今やフローなんだな」
という気持ちを強めた。
何度も何度も読み返す、お気に入りの小説を本棚に一冊だけ……というスタイルでみんなが暮らしていては本はいつまでも売れない。出版社や書き手は、猛烈な勢いで流れ去っていくコンテンツの大河でどれだけ目立って浮き上がってくるかということを考えているし、現時点でnoteは、川面に目を向ける人が集まってくるサービスであり、大河で目を引きやすいブイを打ち込むタイプのSNSなのである。
でもなあ。医療情報はフローでは困るんだよな……ほんとは……。
「一家に一冊、家庭の医学」が、本棚の中で勝手に分厚く改訂されていく、みたいな、各人がいつでも使えるようにストックされている状態で、かつ内容を更新し続けるというのが医療情報の根幹であって、文芸のように「次から次へと魅力的なコンテンツをフローさせる」では話にならないのである。
でもなんかnoteには可能性を感じなくはないんだよなーと思ってとりあえずぼく自身はnoteを「異業種の人々との往復書簡」と「本の紹介」にだけ使っている。医療情報の中でもフローしてかまわないジャンルのものと、ストック性が高くないと使えないものとがあって、異種格闘技戦的対話で視点を増やす「文通」と、多様な書き手を紹介する「書評」についてはフローしたほうがいいんじゃないかなという判断あってのものだ。
でもこれであっているのかなあ、と、書きながら思考を練る、そのために「脳だけが旅をする」を使っているふしがある。脳だけが旅をする。