病理の話っていうか医療関係者の話。
ぼくらは今や、ぜんぜんドイツ語を使わない。
こういうと、40代以上の人に驚かれることがある。
今も使ってるドイツ語って「カルテ」くらいかな。
「クランケ(患者)」とかもう言わない。この文字列、もはや、同人誌でしか見ない。医療系の同人誌を書く人は、中山祐次郎先生の「泣くな研修医」などを読んでみるといいだろう。あそこにドイツ語の専門用語はひとつも出てこなかったはずだ。
もちろん今でも、ベテランドクターと一緒に仕事するとマーゲン(胃)とかゼクチオン(解剖)などのドイツ語を使うことはある。病院にもよる……。
けれども正直、医療者の大部分はもはやドイツ語を言われても、よくわからない。医学をドイツ語で語っていたのは30年くらい前までの話だ。
……なーんて、イキっていたんだけれど。
先日、血液ガスという検査の結果をみていたときに、思わず、「ペーハー」と呼んでいる自分に気づいた。
pHのことである。ペーハーってドイツ語読みだね。
また、結核の話をするときについ「テーベー」と言ってしまうこともある。
Tuberculosis: Tb. ティービー。これをドイツ語読みするとテーベーだ。
わりとぼくはまだドイツ語にとらわれているのだった。まあ、ドイツ語を使っているというよりは、日本で昭和以前に用いられていた医学用語(※ドイツ語由来)の名残がまだぼくくらいの年代に影響を及ぼしているということなのだが。
「臓器を切るときの刃物の使い方はシュナイデンだよ。引きながら切るんだ。そのまま圧をかけてもだめだ。シュナイデンじゃないといけない。」
ぼくはかつて、ボスにこうやって習った。実は「シュナイデンだよ」のニュアンスは今でもよくわかっていない。引き切る、という意味だろうか。頭の中にはキャプテン翼のカール・ハインツ・シュナイダーしか出てこなかった。
……シュナイダーのことを知っている人もいまや少なくなった。つまりぼくはもう「古い側」なのだよな。手元には一冊だけ、独英医学辞典がある。これを捨てるとぼくはいよいよ、ドイツ語の医学用語がひとつもわからなくなってしまうのだ。