脳科学の本を読んでいくと精神科の医学にぶちあたり、そこを掘り進めていったら哲学との境界がわからなくなった。
かつて、自然科学が哲学と一続きの状態でスタートし、だんだん細分化して、物理とか数学のような、一見すると哲学感の一切ない学問として特化していった、なーんていうストーリーを考えていたけれど、物理や数学を応用しながら生命科学を考え続けていたら、結局その先に待っていたのは哲学だった。ぼくなりに一周したんだなあ。
学問の世界って無限に歩き続けていられるんだけど、これって、「地球の表面積は有限だけど、球体の表面は永遠に歩いていられる」のといっしょで、実は面積的にはある程度の限りがあるのかもしれない。
そして、限りある面積の中を動き回っているからといって、同じ地点にたどり着いたらいつも同じ風景が見えるかっていうと、きっとそういうことじゃない。
たぶん、「一度たどり着いたことのある場所」というタグがついたらもうそれは前の場所でもないのだ。どこを通ってどの角度でたどり着いたかによって、見えるものはぜんぜん違う。同じ画角の中に同じ風景がおさまっていても、ぼくの脳からトップダウンされてくる情報が異なれば、見え方は変わる。
そしてきっとこの世界には地球が何億個もあるんだ。