クリスマスイブに精子が精嚢でいったんストックされる話を書いて出してるんだなーということに今さら気づいてじわじわ来ている。
カレンダーに書いてあるイベントの大半は他人事になってしまった。ただ別に冷たい目線で眺めているわけではない。「昔は自分ごとだったなあ」という、わりかし温かい目で見ている。たぶん、そういうタイプの「他人事目線」というのもある。
なんでもかんでも自分ごとにすればいいというものではない。
「他人事」もまた奥が深いと思っている。
他人をきちんと他人として見続けることで、風景の中でうごめいている有象無象に少しずつ視点が定まって、風景のピントが合ってくる。その結果、自分が太陽に対してどの位置にいるのか、自分の影がどこにどのような形で降りているのかが見えるようになる。何かに投影された自分の影の形をみながら、今、自分の肩や首がどういう方向を向いているのか、ようやくぼんやり理解する。
自分の人格をみるカガミというのはたぶん存在しない。
見えるのは影ばかりだ。
影を見るために必要なのは投影する背景、そして光。強すぎてもだめだ。
あとは目がよくないとだめかもしれない。
ぼくは伊達メガネだから目はいい。だからなんとかなると思っている。