2019年12月27日金曜日

スパイスは関係性の先に

ある文庫本の巻末解説を頼まれて、引き受けた。

こんな仕事、完全に本来の職能とは異なる部分で依頼されているわけだが、今回は引き受けた。

この作家の本に解説を寄せるにあたって、ぼくが「適任」なのかどうかは正直わからない。でも、チャレンジする価値はあると思った。





むかしから、椎名誠の文庫本が一冊出るたびに、乱読していた。かたっぱしから読んでいた。さまざまなレーベルからさまざまなジャンルの文庫。それらを網羅する勢いで読んだし、実際に網羅したいと強く願っていた。けれども、彼の本はほんとにいっぱい出るのだ。ちょっと常軌を逸した量が出る。だからなかなか全部は読めなかった。

まあ、自分の裁量で本が買える年齢となった今なら、強い意志をもって椎名誠全著作リストとくびっぴきで本をそろえることもやぶさかではないのだが、ぼくが一番熱心に彼の本を読んでいたのは中学、高校のころである(あと大学と大学院)。最初はインターネットもなかった。出版社をまたいだ刊行リストなんてものをどうやって手に入れればいいのかもわからなかった。だからとにかく目についたものを買えるかぎりで買っていた。図書館でも手当たり次第借りた。結果、リストの全制覇とまでは行っていないのだが、ぎりぎりフリークになるくらいの量は読んできたと思う。とくに紀行文やエッセイの類いはほぼ読んでいる(小説は一部未読かもしれない)。

さてこれらの本の巻末にはたいてい解説がついているわけだが、椎名誠の本に付いている解説は、作家のような文筆のブロが書いている場合もあったが、なんだかキャンプに同行した素人みたいな人が書いている場合もけっこうあって、それがおもしろかった。あるときは料理人が書いていた。あるときは居酒屋の店長が。あるときは南の島の住人が。椎名誠の半分の年齢にも達しない若いライターが書いていることもあった。沢野ひとしや木村弁護士といった、椎名誠にゆかりの深い有名人はもちろんなのだが、「……誰?」という人もいっぱい解説を書いていた。ぼくはあの雰囲気が好きだったのだ。

あとから振り返ってみると、ほかの文芸、たとえばSFとかミステリには、厳然とした「これくらいのクオリティは用意せよ」という圧力みたいなものがあるものだが、こと、椎名誠の文庫の解説については、彼とのほがらかな関係がにじみ出ていれば何を書いてもOK、のように見えた。彼が愛した、あるいは、彼を愛した人間が何かを書くだけで、それは必ず椎名誠的日常や椎名誠的幻惑の世界にとって微量のスパイスとなっていた。大味が変わらないから安心していい。カレーに多少コショウをふったところでカレーはカレーなのである。それはあたかも彼が長いこと形を変えながら続けてきたキャンプの、やたらめったら具材が投入されるうまそうな鍋のようだった。ぼくは椎名誠の文庫の解説が好きだった。




で、まあ、今回、ぼくが解説を寄せる相手はもちろん椎名誠ではないのだが、あるいは、この、筆者との関係という意味では、うん、まだ一度しか会ったことはないのだけれど、いちおう好きな相手ではあるので、なんか書いてみても大丈夫かな、と思ったのは事実なのである。締め切りは1月。