2019年12月2日月曜日

病理の話(390) 液体と固体を生命の中で使い分けることについての雑感

これまだぜんぜん考えがまとまってないんだけど、書き始めてみる。

人体内には固体と液体と気体が混じっている。あたりまえやんけ。

でもこれ意味があると思う。




常温で固体である物質だけで大部分を作り上げれば、強固じゃん。

たとえば骨格にしても。筋肉にしても。脂肪にしても。

しっかりとそこに定着して、何かの構造をなす。

上皮細胞の中にはサイトケラチンという梁が通っている。間葉系細胞の中にもビメンチンという梁がとおっている。どっちも2倍にすると楽しいけれど今日の要点はそこではない。

細胞の中に梁がわざわざ存在するというのは、つまり、「何かを固く保つこと」で、なんらかの意味ある構造物を作り上げることが人体にとって極めて重要だ、ってことだ。




けれどそれだけじゃないんだね。人体の中には液体もある。血がそうだ。胃液や腸液もそうだ。膵液とか胆汁もそうだ。汗も出る。

これらはどうしても必要なのだ。なぜ必要なのだろう? 固体だけで人体が保てない理由はなんだ?

※ぼくがいいたいのは、「水分」の話ではなくて、「わざわざ流れて失うかもしれないもの」を人体が必要として使っているのはなぜかってことです。骨の中にも水分は含まれているよとかそういうことを言いたいわけではない(言ってもいいんだけどさ)。




まず、固体よりも液体のほうが、輸送がラクなんだね。栄養とか。酸素とか。

固体どうしが何かをやりとりするためには、基本的に、手渡ししかない。これだとスピードが遅いしエネルギーも使いすぎる。一方、液体ってのは勝手にしみこんだり拡散したり流れ出したりするから、うまくコントロールさえできれば、多くの物資をいっぺんにスピード速く運ぶことが出来る。

たぶんこの「情報のやりとり」ってのがすごい重要。

高い所から低いところへ。浸透圧の差に従って。ポンプを使っていっぺんに。蠕動(ぜんどう)を使って押し出して。

これだけでものすごい数の情報がやりとりできる。固体ではこうはいかない。

おまけに、液体に溶け込む電解質(イオン)を用いることで、電気的な力(電位)を情報として用いられるというのもでかい。筋の収縮とか。神経伝達とか。これらは液体が関与することではじめて利用できる。

生命は基本的に最初は海にいたので、発祥をさぐると、周りが液体だったところを固体で囲んで(膜で囲うことで)スタートしている。だから生命の中には液体が閉じ込められた。そして、とっくに陸に上がった今も、液体を利用して情報交換をしている。

陸に上がってからも、液体を利用した情報交換の部分はなるべくそのままにしている。こんな便利なシステムを捨てる必要がないからだろう。

ただしひとつだけ、陸に上がった後に、液体を使っていたやりとりをやめた場所がある。勘のいい人だとなんとなくおわかりかもしれない。




それは、肺だ。呼吸。ここは液体を使うのをやめて気体にした。

たしかに気体のほうがはるかに拡散速度が早い。液体を閉じ込めておかなくても気体の出入りさえ確保すればいいんだもんな。液体を用いようと思ったら穴はふさがないといけない(血管から常に血が流れ出ていたら死んじゃう)。けれども気体を用いれば穴をふさがないほうがいい。こっちのほうが便利だ。

でも気体でやりとりできるものには限りがある。まあ酸素とか二酸化炭素くらいしかうまく使えない。だからそれ以外のものが肺に入ってくる前に、ニオイで簡易的に選別できるようにはなっている。あと、イオンとか栄養を溶け込ませることも基本的にできない。




物体の三相を使い分けることで生命はなんかいろいろうまくやっている。自分を保っている。昨日までの自分を今日も保つこと(ホメオスタシス)。




あーこの話はまだまだ掘れそうだけどいったんここまでにしとく。