年末進行一段落。
墾田永年私財法。
武士は食わねど高楊枝。
小林製薬糸ようじ。
リズムとしてはこういうかんじ。
2019年もいっぱい外で働いたけれど、内にこもって思索を深める時間もけっこうあった。
一番足りなかったのは対話の時間かもしれない。外と内の境界にあるはずの人や物、そういったものから目をそらしていた気がする。極端な1年だったと思う。
もっとも遠い人とコミュニケーションすること。もっとも近い部分とコミュニケーションすること。
ほんとうは、「適度な距離の君」とやりとりしなければうまくいかないのだろう。
孤立はしなかった。孤独でもなかった。
でもぼくはどこか弧状だったと思う。まっすぐではなかった。弓なりにしなったり、背中を反らせたり、少しずつ目的地を回避したり、砂浜になったりした。
2020年はさまざまな事情があって外での仕事を大幅に減らしている。
一番でかい理由は職場の病理医が減って仕事が増えるということ。仕事というか、解剖当番のために自宅待機する日数が増える。だからあまり出張できない。まあ今までが外に出すぎだったのだが……。
そういえば、ひとつ新しく、大きな仕事をはじめる。守秘義務が強く、いずれプロジェクトがうまくいくまではさすがのぼくでも詳しいことを書けない。たいていのことは書いてきたけれど。今回はぼくの論理だけではないから書けない。
今までどれだけ自分だけの論理で動いてきたか、みたいなことを同時に考える。べらべらなんでもしゃべって顔を出して物を書いて。ぼくはわりと自分だけの論理で動ける場を作るために、遠方と直近以外の関係をばさばさ切り落としてきたふしがある。
忘年会スルーという言葉はいかにもツイッターで流行りそうだなと思った。
ぼくも長年、人間関係をスルーしてきた部分がある。人間ではない関係がその分強まった。遠い人ほど仲が良く、自分とだけケンカをする。そろそろ対話をしておかないと、弧状で紐状であるぼくは、どことも交点を作らないまま、レールのない場所を曲がりながら進んでいく切ない999みたいになってしまうだろう。人生という名のSLというフレーズ。電車は決して交わらない。ブラックジャックの最終回がそれだった。すべて先にやられている。ぜんぶ誰かが通った後である。降り立った月面にすでに無数の足跡がある。古代遺跡の先に潜む聖櫃を開けたら中に怪盗キッドのカードが入っている。