「来月しめきりの仕事が、もうすぐはやめに片付く」
「片付くとどうなる?」
「知らんのか」 「次の仕事がはじまる」
みたいなかんじの1年だった。
早くものを書いてもいいことはない。単に「早く書けるのだな」と認識されて無茶な量の仕事を追加されるだけの話だ。
だったらじっくりと締め切りぎりぎりまで粘って仕事のクオリティを最後まで上げきったほうが得である。
……という正論もまあわかるのだが……。
ぼくは、たとえば病理診断というのは早ければ早いほどいいと思っている。診断というのはその後の方針に影響するものだ。診断が早く付けば付くほど、次の行動が早くとれる。
実際には、病理診断が1日、2日早くついたからといって、その病気を征圧できる可能性がそれほど大きく変わるわけではない。診断というのはそこまで単純なものではない。
けれども、関係者一同が「どうなるんだろう」と気持ちを揺るがせている時間を、早く落ち着かせることはけっこう大事だと思う。
「診断がなかなか出ないこと」というストレスは、減らした方がいいと信じているのだ。
で、病理診断に限らず、ウェブの記事とか、インタビューのチェックなどの、あまり病理と関係ない仕事においても、ぼくはとにかく「締め切り通りに原稿がくるかなー」と揺らいでいる編集者の気持ちを早くラクにさせたいなという気持ちが前に出てしまう。
だからいつでも仕事を巻きまくる。
依頼メールを開いたまま原稿を書き終えたいくらいだ。誰かがかわりにチェックしてくれるならそうやって書きたい。
自然と、そのとき思ったことを書き殴るタイプの原稿ばかりが積み上がっていく。
ぼくのこの「スナップチャット方式の原稿」は、きっと、あまりよくないのだと思う。だから2020年はもうすこし、じっくりとものを読んで書きたい。ぼくはいつでもそうだ。あらゆる物事がコミュニケーションであることを忘れ、ツーの矢が飛んできたらカーと大砲で返事する、みたいなことばかりをやっている。
やっぱりぼく病理医でよかったんだろうな。
こんな臨床医はいやだ。ぼくなら。
よかった、どこまでもどこまでも病理医で居続けることにしよう。
今年で42になる。自分のやれることと役割を悟るにはちょうどいい年齢ではないか。