2020年1月9日木曜日

病理の話(402) 年齢別にみた病理医の仕事

今日の記事、こういう書き方、こういう視点では書いたことないかもしれない。





病理医って、実は年齢とか職務経験によって、少しずつ仕事内容が変わっていきます。

ずーっと「顕微鏡で細胞みて診断する仕事」だけしていればいいわけじゃないんです。




いや、てか、ほとんどの社会人ってそうじゃん? ふつうみんなそうじゃん?

若い時の働き方のまま50代、60代ってならないじゃん? いわゆる管理職ってあるじゃん。

一般的な企業に勤めている人って、自分の仕事内容をざっくり説明するのって意外と難しいはずなんだよね。

20代とか30代ならまだしも。

年を取るとだんだん複雑になるものなんだよ。




でも、医療職って、どうもそうは思われてないふしがある。

たとえば医者のことを考えてほしい。あなたは、研修医も40代の医師も60代の医師も、みんな患者みて注射して電カル叩いて手術してると思ってないだろうか?

……いや、まあ、してるんだけどね。

国家資格をもった人間のサガだよね。

その資格を使わないとなんにもできないからね。



でも年齢を重ねると、ほかの職業と同じように、やっぱり立場が少しずつ変わっていくんです。

どんな医療職であってもね。



では病理医の場合はどう変わるか?




いろーんなパターンがあってこれと決めつけることはできないんだけど……。

基本的に、細胞をみてその性状を診断して、レポートに記すという一連の専門的な作業にかける時間は、ちょっとずつ少なくなる。

これは自分の能力が上がったり、職場環境に慣れたり、部下と仕事を分け合ったりするからです。

で、所要時間が短くなるにつれて、余った時間をどう使うか。

 ①その時間でさらに細胞をじっくり見るタイプ。

これだとやってることは若いときとあまり違って見えない。ずっと顕微鏡に向かい合ってるかんじ。細胞ってみればみるほど見どころが増えていくんだよね。

 ②細胞学や病理診断に関する論文を読んだり、教科書を見たりする勉強の時間を増やすタイプ。

だいたいみんなこういうことはする。若いころは仕事のやり方を覚えたり、基本的で古典的な技術を学ぶことで時間がどんどん溶けていくけれど、これらをある程度習得すると、そこからが長い医学の勉強のスタートなのだよね。

病理医というのは基本的にどこまでも脳だけで働く(手先の器用さがほぼ必要ない)ので、ずーっと脳を鍛え続けておくことが求められる。一生勉強してないとね。




で、ここまでは前提として、ここからは、やる人とやらない人がいますが、やる人に回ると、仕事のスタイル自体がどんどん変わっていきます。まるで顕微鏡を見ないタイプの病理医になっていったりもする。つまりは働き方が変わってしまうパターン。

 ③診断経験を活かして、所属している学会や研究会などで発言する回数が増え、「診断基準を作る側にまわる」

こういう場合があるんだよ。

細胞をみて診断はするんだけど、それ以上に、ほかの病理医、あるいは病理医以外の医療者たちが日常的に使うための診断の「手引き」、あるいは「評価するための虎の巻」を考える仕事が増えてくる。





たとえば弁護士って法律を覚えて仕事をするでしょう。

で、法律をいくつも使って案件を処理していくうちに、法の不備に気づく……ことがどれだけあるのかな。新しいタイプの裁判で、法の抜け道みたいなものが見つかったら、そのとき、弁護士が新しい法律をつくろうとして働くことはあんまりないと思う。だってそれは司法の仕事じゃなくて立法の仕事になっちゃうからね。三権分立ってそういうことでしょう。

でも病理診断の場合は、病理医が使う法律……というか法則……「ロウ」は、病理医が自分たちで磨いていかなきゃいけないんだ。

もちろん、病理医だけで磨くことはない。胃腸に関するとりきめは胃腸内科(消化器内科)や消化器外科のドクターたちといっしょに考えるし、肺に関するとりきめは呼吸器内科や呼吸器外科のドクターたちといっしょに決めるよ。

でも病理医もぜったいにその「法を作る場所」に参加しないといけない。だって細胞をきちんとみられる医者なんてほかにいないからね。



ということで、病理医は、みんながみんなキャリアの間中「司法」みたいなかんじではたらいてるわけじゃないんだ。途中から「立法」にも携わる場合がある。




さあぼくはどうなるだろう。ずっと「司法」側でいるのかな。それとも「立法」もやることになるのだろうか。




あるいはAI病理診断の世界で「行政」もふくめた新しいシステムを作る仕事をやるのかな。それはまだぼく自身にもわからない。