2020年1月21日火曜日

類は人ならず

何かを批評することによって人気になったアカウントには、ツイートを批評したがる人が群がってくる。

誰かを批判することで耳目を集めたアカウントには、そのアカウントのことを批判したがる人が群がってくる。

「類は友を呼ぶ」という、日本の成人であればほぼ全員が知っているであろう慣用句があるが(よく考えるとすごいことだ)、「あなたのもとには、あなたと同類の道具を持った友がやってくる」というニュアンスをうまいこと省略して表現している。しかし実際にやってくるのは友だけではないのだ。あなたと同類の道具を持った敵味方中立がみんな集まってくるのである。

「情けは人のためならず」という、日本の成人であればほぼ全員がなんとなく知っているであろう慣用句があるが(よく略)、「他人に対して情を深くして接していると、自分もまた他人の情に触れる機会が来る」というニュアンスをうまいことフック込みで表現している。しかし実際に人のためならずなのは情けだけではないのだ。敵意もまた他人に向けていると自分に返ってくるのである。



や、ほんと、そういうことだと思う。

人間性すべてを使ってリアルで他人と接するときもそうだが、自分の一部だけを用いて他者と接続する「社会」とか「コミュニティ」とか「ネットワーク」の中では、特に……。




そういえば、さくちゃん(あだな)あたりは周りにいい人が集まってきている。

自分の手にしっくりくる道具を丁寧に選んだ結果、「類」が友しかいなくなっているかんじだ。

ああいうのがいいな。




あと、鴨(本名)あたりは周りに変な人ばかりいるように見える。

あれも捨てがたいけど、あのレベルまで研ぎ澄ませた道具を手の中に持っていること自体がすごいのである。

まねはしたいけどな。





そういうぼくは、どういう人に囲まれているか?




「ダジャレと皮肉とコンテンツ課金が大好きな、社会に対して強気に出られず、推しに対する愛が濃い、攻撃性が低く無害だがときに突拍子がないオタク(男女とも)」







これはたぶん、並行世界(ありえたパラレルワールド)をみわたしても、最善に近いかもしれない。ありがたいことだ。うまくいっているのかもしれない。