2020年1月16日木曜日

病理の話(404) たぶん民間医療ってもっとずっと複雑だよねって話

先日読んだ本に、

「ひどいアトピーに苦しんでいた人が、自然農業をはじめて試行錯誤するうち、いつしかアトピーがよくなっていた話」

が載っていて、考え込んでしまった。

この「自然農業」によって、食べる物や住む場所を変えたことがアトピーをよくなることにどれだけ寄与したのだろう。

本人も書いているのだ。自然農業を続けながら長く病気と戦ってきた、と。

つまり自然農業をはじめてからもずっとアトピーはよくなっていないのである。

長い年月をかけてよくなった、それはほんとうによかった、けれども自然農業をやっていなくても同じ年齢になったらやっぱりアトピーは治っていたかもしれない。

時間経過という別の要因によってアトピーが治ったかもしれない。




しかし患者の身になって考え直してみると、この、「自然農業を続けていくうちにアトピーが治って嬉しかった」という話には、つっこみのいれようがない。

だって、ここには、間違いがないのだから。

そもそも科学の話なんかしていないのだ。

「アトピーに苦しみながら自然農業でがんばってきた歴史」は患者にとって真実なのである。

自然農業が精神の支えになったこともあったろう。

つらい毎日だけではなくチャレンジする毎日もあったろう。よろこびだってあったろう。

自然農業というのはもはやアトピー療法なんかではなくて、この人にとっては、人生の一部そのものなわけで、それがアトピーに効いた「かもしれない」と思っている本人の気持ちは、子どもがクリスマスに枕元のプレゼントをみて「サンタさんだ!」と喜ぶのとどれくらい違うのだろう。

その上で、「自然農業がアトピーにいいぞ、だからうちの無農薬野菜を高額で買いなさい」とすすめる(アトピーではない)悪徳業者だけをぶっつぶせばいい。

……とは思うのだけれど、じゃあすすめる野菜が高額ではなくて安価だったら、神社のおまもりとかと同じように、「気休めは気の癒やし」として許容していいのか。





うーん。ぼくは考え込んでしまっている。

医学とか科学をふりかざして、暴力的にニセ医学を殴って回る医療者たちが分断を引き起こす姿を見てきた。

いっぽうで、やさしい医療情報をたずさえて、民俗セクター的医療(まじない、祈祷、おまもり、信仰を含む)と西洋医学とを融和させるタイプの医療者もちらほら見かける。

ぼくが考え込んでいることはきっと現場の医療者たちがずっと前から悩んできたことであるだろう。

きっとそのうち、ぼくの悩みによりそってくれるような本が出るはずだ。

たぶんそう遠くないうちに……。知らんけど……。(読んでないのでほんとに知らない)