2020年1月24日金曜日

病理の話(407) エキスパートの意見

その道の大家みたいな人がどの世界にもいる。

病理の世界にもいる。

病理診断の対象となる臓器は全身だ。目の病理診断というのもある。皮膚も。胃腸も。肝臓も。精巣も。子宮も。膀胱も。脳や脊髄、神経もだ。あらゆる臓器に発生する病気に対して、病理診断が存在する。

そしてそれぞれの臓器ごとに、「異常に詳しい人」というのが必ずいる。日本全国に2300人くらいしか病理専門医はいないわけだが、これらのさらにごく一部が専門となる臓器をわけあいながら、エキスパートとして君臨している。

たとえば軟部腫瘍であるとか血液腫瘍の病理診断の専門家となると、日本には多くても20人くらいずつしかいない。

そしてその20人、特に経験豊富な上位の10人というのは、まあこれがとんでもない人間ばかりだ。

イメージでいうと、テレビのクイズ番組に「東大王」というのがあるだろう、なぜそのスピードで雑学をすかさず正確に答えられるの……? と見ていてこっちが不安になるアレ。あの「東大王」の病理診断バージョンみたいなのが、各臓器ごとに10名くらいいる、と考えればいい。




で、そういうエキスパートたちに診断の極意みたいなのを尋ねると、これがまたおもしろいくらいにみんな「日本語が達者」なのである。そこに見えている風景をすばやく説明する能力に長けている。まれに脳が完全にブラックボックスで途中何言ってるかぜんぜんわからないけれど診断だけは正確、みたいな人もいなくはないのだが、ほとんどのエキスパートは、目でみたものに対して説得力のある実況をする能力が高い。だからそばで話を聞いているとおもしろい。



「まずこうやってぼうっと拡大を上げずに全体をみるでしょう、するとやっぱり見たかんじが”青い”よね、そしてムラがあまりなくて……」

これは別に絵画の説明をしているのではなくてプレパラートの見た目を説明しているのだが、こういう口調をしばらく耳にしていると、それまで全くわからないで見ていたプレパラートに隠されている「生命の法則」みたいなものが整列して整理券をもってこちらに押し寄せてくるのだ。

そのストーリーみたいなものにあらがうことはまずできない。




エビデンス・ベースト・メディスン(EBM)などというと、個人の意見よりも統計学的な処理の結果を重要視するような風潮のことだろう、と思われがちだが、EBMの定義はそういうことではない。

「統計学的に得られた知識を、実践的な知恵として、ひとりひとりの患者に応じて適用すること」

がEBMなのだ。つまり最後は患者ごとにアレンジして、オーダーメードの診療まで結びつけることが求められる。この、「患者ごとのアレンジ」や、「症例ごとの細かい読み解き」が、エキスパートとされる病理医たちは格段にうまい。

だから彼らのいわゆる「プライベート・コメント」はときに医学の真髄みたいな色を帯びる。見ていると敬虔な気持ちになる。人間ひとりがここまで極められるものなんだなあ、と。ただ彼らはきっと早押しクイズは苦手だろう。これが正解だろうと読み切ったあとにさらにそこをウラから補強するところまで考えたくなるのが病理医というものだ。踊るように早押しをすることに価値を見いだすエキスパートというのは寡聞にして知らない。