出張先の倶知安で、いくつか写真を撮ってインスタグラムに載せた。最近あんまり更新してなかった。東京や大阪など生き慣れた場所では、風景がへこんで見えてしまう。どれだけ珍しいものが目に映っても、それはまあ東京だからそういうのもあるだろう、と、脳からトップダウンした情報によって末端の感動が否定されてしまう。逆に、倶知安でみかけた風景は、それが轍であっても雲であっても新鮮であった。新鮮という字は新しくて鮮やかと書くが、特段目新しかったわけではないのだけれどどこかみずみずしく見えたのだと思う。田舎に対する同情みたいなものが自分の中にあることを否定しない。理由がなければ訪れない場所、というよくわからない上から目線がぼくの中に汚く陣地を貼っている。インスタグラムのフィルターがひどく陳腐に思えた。
早朝の電車に乗るために駅前の道を歩いていた。まだ朝日の気配すら感じられないのだが歩道はすでに個人サイズの除雪機によると思われる角張った排雪がなされていて、割面がつるつるてらてらと光っていて冬靴の先に緊張が走った。10メートルほど前を学生らしき女が早足で歩いていた。ぼくより10数秒早く駅舎に消えてゆき、あっという間に定期か何かを駅員にかざしてホームの向こうに消えた。ぼくは切符を買った。倶知安駅にはIC改札がないのだ。2100円で札幌までの切符。改札は手動で、駅員が丁寧に切符を手に取りスタンプで挟んでくれた。出口となる札幌駅は自動改札だから、ハサミを入れないのだ。
ホームに出ると目の前は空虚だった。電車がいなかった。いったん陸橋をわたって隣のホームに行かなければいけない。陸橋の先に、順逆それぞれの方を向いている電車が留まっていて、どちらがどちらを前方にしているのかすぐにはわからなかった。1両しかないほうの電車には、ニセコでスキーをしたのだろう、やや疲れた大柄の外国人が2名ほど座っているのが外から見えた。周りが暗いから灯りで照らされた車内がいつもよりよく見えた。車両の側面には長万部行きと書いてあった。ここから内陸を南下して噴火湾に出て行くルート。函館本線の函館方面というやつだ。オーストラリア人だろうか、あるいはヨーロッパから来たのであろうか、彼らはここからどこに向かうのか、興味はさほどないけれど少ない情報から推理してみてもいいなと少しだけ思った。
もう一方のホームに留まっている電車は3両編成で、まあおそらくこっちが札幌行きなのだろうと思った。車両の横には苫小牧行きと書いてある。札幌の先に苫小牧があるわけだが、倶知安からだと大きく時計回りのルートで、小樽方向にいったん北上してからぐるっと札幌方向に降りていくんだよな、と、あえてめんどうくさい方向確認をした。時計の9時(倶知安)から12時(小樽)を経由し、2時(札幌)までたどり着けばぼくはゴールである。その後6時くらいまでずっと乗っていると苫小牧に着くのだ。そのルートを完走するときっと少し楽しいだろうなと思ったけれど、ここまで、1両の電車が留まるホームにも、木造の陸橋をもつ古い駅にもあまり郷愁を誘われずにいたせいか、正直、函館本線だろうが冬の倶知安だろうがどうでもよかった。早く札幌に帰って今日の仕事をしないとなという気持ちが妙に強く押し寄せてきた。
ここはおそらくぼくの祖先が幾度となく通った路線だ。札幌からここ倶知安を通過し、長万部を経由してはるか八雲まで。そこで気動車を降りてから雲石峠の八熊線をバスで通過した先にある母親の実家に、ぼくは思いを馳せていた。あそこにはもう誰も住んでいない。祖父母が住んでいた家は祖父母の死後人手に渡り、おそらくもう処分されている。あの坂を下りたところのガードレール沿いで、ぼくは弟とふたりで生涯に3度ほど同じ構図の写真を撮っている。「函館本線」のひと言から奔流のように蘇ってくる記憶、あるいは混線した母親の記憶なのかもしれないが、見た記憶のない風景にぼくは脳を押し流されていて、もはや倶知安には何の興味もわかなかった。だからこそ、ぼくの前に座って既に眠り始めている先ほどの学生を見て、君の実家をくさしているわけではないんですよと少しばつの悪い思いをしたし、もういいだろう、と誰に言うでもなくつぶやいてあとは小説の世界に入り込んだ。2時間で札幌についた。