2020年1月30日木曜日

病理の話(409) 読み手を想像する診断書の話

たいていの無口な病理医は黙ってやっていることなのだが、あまり知名度がない話なので書いてしまう。




プレパラートに乗った細胞を顕微鏡で拡大し、病気の正体を見極め、かつ、病気がどれくらい進行しているかを判断する。これが病理診断だ。

病理医がみた内容をレポートに書く。この紙切れを「病理診断報告書」という。

(「レポート」という言い回しは、もしかすると業界用語かもしれない。書籍・雑誌の校正で「リポート」に直されることがある。確かにテレビ中継ならリポート、リポーターという言葉を使う。けれども、病理の場合は慣習的にレポートと発音する。これはもうそういうものだとしか言えない。)

閑話休題。

病理診断報告書には、英語と日本語が入り交じっていることが多い。

日本人が診断して日本人が読むレポートなのに、なぜところどころに英語が用いられるのか? などと、ときおりイキった医学生に質問されることがある。

たとえばこのようなレポートを見てほしい。


****

粘膜層、粘膜筋板、及び粘膜下層の一部が採取された検体です。採取範囲で粘膜下層に達するtub1相当の腺癌を認めます。Desmoplastic reaction (+).

****

「tub1」というのは病気の分類の一種で、記号みたいなものなので、あまり気にしなくてよいとして、最後にいきなりdesmoplastic reactionという言葉が出てくるので驚く人がいる。何、突然英語でかっこつけてんだよ、的な。

驚かれるのもごもっともだ。しかし、ここで英語を使うか、日本語で揃えるかについては、実際の所、相当考えられている。




Desmoplastic reactionという言葉は、日本語だと「線維性間質形成」とか、「浸潤部の線維性間質形成」と呼ぶ。

なら日本語で書けばいいじゃん、と思われるだろうか?

でもここは英語がいいとぼくは思うのだ。

なぜかというと、このdesmoplastic reactionという言葉を、教科書や論文で調べようと思ったら、英語で探した方が精度の高い情報に届きやすいからである。

つまり業界内で英語で使われている頻度が高い言葉は、無理に日本語に直さずに英語にする。

そのあたりの判断を、病理医は、受け手である臨床医たちの顔を思い浮かべながら、勘と信念の交差する部分でやっている。





レポートに書いてある言葉はすべて、受け取った医療者たちが「検索する」「調べる」ものだと考えて用意する。

「病理医がこう書いてあることに何か意味があるのだろうか?」

「病理医がたまに書いてくるこの単語が出てくる患者だけを揃えて比べたら何か意味が見いだせるだろうか?」

レポートは読み捨てて終わりではないのだ。そこから何かを得ようとする人のために、何かを得られるように書くべきものだ。

知恵の宝庫である。もっと言えば、誰かの知恵が広がるための「とっかかり」になるように、狙って作成する。計算して単語を選ぶ。

すると自然と、「医療者がその後よりどころにしやすいような単語を選んで書く」ことになる。





Desmoplastic reactionの部分を単に「DR」と略して書いてしまうと、レポートを受け取った人が検索しようと思ってもうまく探せない。あるいは探すのに時間がかかる。

「浸潤部の線維性間質形成」と日本語で書くと、一見わかりやすくなるようだが、実は文献検索がしづらい。このことは実際に検索をしてみてはじめてわかる。

「リンパ球浸潤癌 (gastric) carcinoma with lymphoid stroma」のように、日本語と英語を併記するときもある。このときは瞬間的にこう考えている。

(もしこれを受け取った医者が学会報告するとしたら、英語と日本語両方使っていろいろ書くことになるだろうから、両方書いておこう……)




……仕事に慣れてくるとだんだんこのへんが雑になってくるので、定期的に、自分の書いたレポートを読み直して、独りよがりな文章になっていないことを確認していかないといけないのだけれど……。