2021年2月12日金曜日

病理の話(504) 正解を知りたいという思い

先日の手術中。

とある外科医は、患者の体の中で、「ある臓器とある臓器」がくっついているのを目にした。

くっついていると言っても、別に臓器同士が仲よくペトっと寄り添っているわけではなく、軽くひっぱった程度では離れないくらいに、固まってしまっている。

彼は、臓器Aのほうを取り除くために手術に入った。しかし、臓器Aと臓器Bは、ちょっと手で引っ張ったくらいでははがれてくれない。さあどうするべきかと悩んだ。

うまく臓器Aだけをベリベリはがして取れるだろうか……。

それとも、いっそ、臓器Bを一部削り取って、まるごと取ってきたほうがいいか……。




外科医なんだからガンガン切ればいいじゃん、というのは素人考えなんだそうだ(ぼくも昔教わった)。一流の外科医というのは、「いかに小さく切るか、もしくは、いかに切らないか」を考えるのだという。

切って取ることは体にダメージを与える行為だ。少しでも傷は小さい方がよく、ちょっとでもモノは体内に残しておいたほうがいい。







臓器同士がくっついているという現象に対しては、「癒着」という言葉を使う。

癒着というと、世の中的にはやれ政治だ経済だ、越後屋とお代官さまだ、カネの話だといういかにも「悪い」印象があるが、体の中でも癒着は起こる。しかも、それはやはり、あまりいい話ではない。

体の中で起こる癒着には大きく分けて2種類ある。

 1.「がん」のため。

 2.「炎症」のため。

前者、がんというのは、組織の中にどんどんしみ込んでいく性質を持つ。そして、しみ込んだ先で次々に、自分が生きていく環境を整えるための地ならしをする。がん細胞の周りに線維がどんどん増えて、周囲が硬く引きつれるのだ。

臓器Aから出たがんが、隣の臓器Bにしみこんだら、この「地ならし」の線維化によって、臓器同士はがっちり癒着する。

一方で、「炎症」によっても癒着は起こる。キズ跡が治っていく過程で、かさぶたの下に硬いものができて、軽く引きつれることがあるだろう。いわゆる瘢痕(はんこん)だ。

臓器Aの周りに炎症が起こっていて、隣の臓器Bとくっついてしまう、ということもあり得る。






さあ、外科医は考える。

もし臓器AとBとの癒着が「炎症」によるものなら、多少むりやりであっても、AとBを剥がしてしまえばいい。

しかし、臓器AとBとの癒着が「がん」によるものだと、AとBを引き剥がしてAだけ取ってくることは、「体内に残したBの中に、がん細胞が残存している」ことを意味する。





彼は手術の前に、CTなどの画像診断で、「おそらく臓器Aから出たがんは、Bに浸潤している(しみこんでいる)」という読みをしていた。

しかし、実際に手術に入って、臓器を手で触ってみると……。




(どうも……炎症で癒着しているだけのようにも思うなあ……このさわり心地は……)





しかし結局外科医は臓器Bの一部を「合併切除」することに決めた。Aだけベリベリ取り外して血がドバドバ出るのもいやだったし、手術前の「読み」を信じていたし、がんというのは見て触るだけではなかなかしみ込む範囲を予測できないということも、これまでの経験の中で痛いほどわかっていたからだ。

なにより、この状況(あくまでこの臓器Aと臓器Bをめぐる状況)では、多くの先輩外科医たちが「取ったほうが安全だ」という見解を、過去のデータに基づいて出していた。

だから外科医は、臓器Aと、臓器Bを、くっつけたまま、まるごと体内から取った。






――後日。

病理検査室に彼はいる。ぼくのデスクにやってきている。

「先生、こないだのあれ……どうでした?」





ぼくはここで、「ああ、がんでしたよ」と答えて終わるわけにはいかない。

彼は、手術中に疑問を抱えたのだ。「臓器Aと臓器Bの、癒着の原因はなんだったのか? がんは、結局どこまでしみ込んでいたのか? AとBのくっついていた部分には、がんがあったのか? 炎症だけだったのか?」

だから、答える。念入りに。写真を提示しながら。顕微鏡の画像を指し示しながら。





「がんはここまでしみ込んでいました。Bの中にも入り込んでいたのです。先生が術中に、Bをむりやり剥がしていたら、体内にがんを残してしまうところでしたね」

「そうですか。なら手術で広めに取ってよかった。それにしても……ぼくが触ってみた感じだと、がんがBにしみ込んでいるとは思わなかったんですよ。なんか、もうちょっとやわらかい癒着に思えたんだけどな」

「あ、それは、このがんが、少し特殊なタイプだからです。ほら、これを見てください。」

「……あ、がん細胞の周りに、炎症があるのか……」

「そうです。このがん細胞は、『周囲に強く炎症を伴うタイプ』なんです。だから先生の手は間違ってないんですよ。たしかにこの癒着は、炎症のさわりごこちがしたはずです。ただし、炎症の中にがんがまぎれていたんですけれどね」






このような「病理医と外科医の対話」は、必ずしも医療の現場で必要不可欠とされているわけではない。

ただし、外科医はときおり、「術中に指先で感じたものの正体」を知り、明日の手術に活かしたいとひそかに思っていることがあって、そのマニアックで専門的な疑問に答えられるのは、たぶん病理医だけなのである。