2021年2月10日水曜日

段取りとうるおい

ガラスプレパラートにアブラが付くのがいやなので、仕事中は手にクリームを塗れない。冬の乾燥で指先が厳しくなってきた。この話を人にしたところ、


「乳液だけでも塗れば」


と言われ、なるほど乳液か、そうかそうか、乳液ってなんなんだろうな……と今さらだが軽くググった。


乳液といえばサザエさんが寝室で鏡台に向かって顔につけているあれだろう、くらいの知識だ。先に化粧水を塗ってあとに乳液だろう? なんかそのレシピというか調味料の投入順序みたいなのは知っている。化粧水と乳液を分けて使う意味があるんだな。これまであまり考えたことがなかった。小児アレルギー科医が使うエモリエントとモイスチャライザーの違いならわかるんだけど。


読者はどうせ化粧水と乳液のことなんてぼくより知っているだろうから、この話題にさらに詳しく踏み込む気はないのだが、いろいろ調べながら思ったのは、「刻むこと」。「刻んでおいたほうがいい」ということ。



昔のぼくなら「なんで化粧水と乳液を分けるんだろう、どうせ両方塗る人が大半なんだから、リンスインシャンプーみたいにセットにすればいいのに。ていうかシャンプーとリンスもそうだ、リンスインシャンプーってのがあるんだからぜんぶそっちにすればいいのに。わざわざ分けるのは商売のためか。コスいな」くらいのことを思っていた。


でも違うのだ。社会では、活動では、人間は、生命は、プロセスをある程度刻んでおいたほうがいいのだ。


「ここまででやめておきたい」とか、「この先でちょっとさじ加減」というものが、本当に多い。


何かと何かは常にペアになっているからセットにしよう、は雑なのだ。AのあとにB、というのと、「ABセット」というのは違う。お味噌汁をひとすすりしてからごはん、というのと、ねこまんまとは違う。


なんだかそういったことを最近はよく考えるようになった。「無駄があるように見えるもの」という話題は世に尽きない。しかし、「無駄があるように見える」と指摘する人が近視的であることのほうが多いように思う。プロセスを刻まないと、その間、ゆっくりと呼吸ができないということもある。なんでもかんでもセットにすればいいというものではない。行程を減らすことでかかる費用を抑える、それは確かにけっこうな考え方なのだが、「コストをかけることで彼我双方がちょっといい気分になる局面」というものを、あまりないがしろにしないほうがいい。



乳液はめんどくさいのでまだ買っていない。