2022年2月3日木曜日

病理の話(623) 犯人なのか野次馬なのか

たとえばあなたのどこかが腫れたとする。それは皮膚かもしれないしノドかもしれない、あるいは、自分では気づけないが胃の中かもしれない。腫れたままだと心配なので、腫れたところを鉗子(かんし)でつまんで、細胞成分をちょっとだけ採取する。「なぜ腫れた?」を調べるためにだ。


ちょっとつまんだ、というのは本当にちょっとだ。爪切りで小指の爪を切ったときのことを想像してほしいのだが、あのカケラくらいか、それよりさらに小さいサイズしか採ってこない。それでも皮膚なら痛みを感じる。胃の粘膜は痛みを感じないので、爪切りの切りカスくらいの大きさを採ることは可能だが、でも血が出るからやはり小さめに採る。皮膚の場合は麻酔をした上で、直径3 mmくらいの極小の断片をわずかに採る、くらいに留める。


それだけ小さな検体の中には、しかしけっこうな量の細胞が含まれていて、しかもただ密集しているのではなく意味のある構造を作って配列している。皮膚から採ってきたならば、表皮、真皮、真皮内の付属腺(汗腺・脂腺、毛穴など)、さらには皮下の脂肪まで採れてくることが多い。


さあ、「腫れ」を細胞レベルでいろいろと見る。たとえば真皮内の膠原線維の感覚がひろがっていれば、そこに「水分」が出ているなあということがわかる。いわゆるむくみだ。また、真皮内の小さな小さな血管の周囲に、リンパ球などの炎症細胞がパラッと出ていれば、血管の中から炎症細胞が漏れ出してきたのだな、ということもわかる。「ああ、水分といっしょに炎症細胞も動員されてきたのだなあ」。


こういうのを見ながら、「で、なんで腫れたの?」「どうしたら治るの?」を考える。「腫れたのは水がたまったからだね」みたいな、化学実験でふしぎな出来事のワケを知るような、興味本位の検討で終わってはいけない。いや、興味本位の検討は超絶怒濤に大事なのだけれども(そういう興味があるからこそこの仕事をおもしろくやり続けられるのだ)、患者にわざわざ痛い思いをさせて採取してきた組織に、不思議のタネだけ見つけて喜んでいるわけにはいかない。われわれは科学者であるだけでなく医者なのだから患者の不安や不満に対応する仕事をしなければいけない。


「原因」を探し、「対処法」までたどりつかなければいけない。ただしこの原因がすごくわかりづらい。見てわかるとは言いがたい。なぜなら……


「火事場にいる男が、犯人なのか野次馬なのかを決める」


ようなものだからだ。そこにあるものがイコール犯人だ、と決め打ちできるほど、顕微鏡診断は簡単ではない。



たとえば、腫れた皮膚のまわりのところに「菌」がついていたとする。バイキン! これが原因で、膿(う)んだんじゃん! と飛び付きたくなるところだけれど、そこでぐっと踏みとどまる。「もしこれが、ほんとうにバイキンによる腫れであったなら、バイキンに対して体が反応する様子がなければおかしい……」と考える。バイキンはいるが、まわりに好中球が出ていないならば、そのバイキンは見物客であり野次馬だ。腫れを生じた犯人として検挙するには証拠が足りない。

しかも、ごく一部のバイキンは、好中球をともなわずに腫れを生じることもあるから余計に難しい。この「ごく一部」というのを知っているかいないかで、組織が腫れた原因をどう考えるかがまるで変わる。顕微鏡でバイキンを見つけるだけではなく、その菌を培養して、具体的にどういう菌かを確定させる別の検査をしないと、「好中球なしで腫れにつながりうる菌」かどうかはわからない。でも、そういうケースでは往々にして、培養をしているヒマがなかったりもするので、そういうときは、臨床医と相談をしながら、「この菌が『もし』あのタイプだったらこの腫れはヤバいよ」みたいに、仮説をいっぱい提出して検証し、患者になるべく不利益が起こらないようにいろいろと手をうつことになる。


「仮説ゥ? なんのための検査だよ! ちゃんと確定してくれよ!」


いやまあそう言いたいのはわかるのだけれど、たとえ話を続けるならば、「身体検査をしても凶器を隠し持っていないタイプの放火犯」を逃がさないためには、火事がおこったときに現場にいる人をひとまずは家にかえしてはだめだ。逮捕状はないからいろいろ面倒なんだけど、逃がした先でまた放火とかされても困るじゃない。だったらこういうときは、寝技的に、「あらゆる可能性を考えながら、一番被害が少ない方法をさがして試行錯誤する」しかないのである。誠意も必要だよ、だって真犯人じゃないのに家にかえしてもらえない人だって出てくるわけだから。




顕微鏡をのぞいて、「何が起こっているのか」を見るところまでは、小学生や中学生にも教えられるくらいにわかりやすい。あればある、なければない、だ。しかし、「なぜそうなったのか?」という因果の話をするのはめちゃくちゃに難しい。最近の例でいうならば、ある重篤な病気にかかった人の検査をするとそこに「ウイルス」がいました、じゃあそのウイルスが全部の犯人なのかって、そいつは偶然いあわせた野次馬かもしれないし、実際に犯人だったのかもしれなくて、どっちかを決めるのは状況証拠をばんばん集めないといけないすごく難しい話なのである。いる・いないだけで診断できるなら医療はとっくに機械化されています。