あれは3連休の2日目から3日目にかけてのことだった。
今週は平日のうちに診断業務をすべて終わらせておいたから、休みの間に心行くまで原稿が書けると思った。そして、実際そのようにした。朝から晩まで精魂込めて原稿を書いた。そして無事、明日にまだ1日休みを残した状態で、原稿を書き終えた。
やった、と思った。すぐに編集者に送信しようかと思ったが、気持ちを落ち着けて、明日あらためて出勤し、そこでもう一度原稿を見直してからにしようと考えた。でも事実上執筆はこれで完成だ。WorkFlowyのタスクリストのうち、直近2か月間に締切のある仕事はすべて終わった。久方ぶりの開放感。
意気揚々と帰宅する。ちょっと分厚いタイプの餃子を食べ、ビールを飲みテレビを見ていた。誰ともなく「なんか今日はあんまりおもしろい番組がないね」と言い合って、パソコンをテレビに繋いでアマプラで「鬼滅の刃 遊郭編」を家族で一気見することになった。おもいのほかおもしろく、最終話の直前までぜんぶ見てしまった(最終話はその翌日だ)。その間ぼくはずっとビールを飲んでおり最後はレモンサワーに移行した。見始めたのが早かったので、すべて終わってもまだ11時過ぎだったが、それでも日ごろに比べるとだいぶ深酒となった。歯磨きをして布団に入るとあっという間に意識は遠ざかった。
異変は翌朝だ。今日も1日休みだから、どこかで出勤するとは言え、まだのんびりしていられるな……と思って寝返りを打とうとしたら、左右の肋骨のあたりがけっこう痛い。気づけば首の後ろもばんばんに凝っている。ああ、しまったな、いつもよりアルコールを入れたせいで、睡眠中に変な格好になっていても目が覚めずに、寝違えみたいになってしまったのだろう、と思った。ぼくはもともと首が弱いので、自分の首の高さにあった枕を買って、真ん中をきちんとへこませて、頸椎のアーチを大事にして寝ないと一発で腕がしびれる。ただし今回、腕のしびれがなくて体がとにかくあちこち痛い。どういうことだろう。あちこち動かしてみてわかったのだけれど、特定の何かを傷つけたというよりは、とにかく体が広範に痛いのである。「年取るってそういうことだよね」という声が聞こえてきた。たぶんそういうことだ。特に異論はない。しかしこれは参った。のんびり朝寝をしようにも軽く体を動かすたびにけっこうな痛みがあちこちに走る。ゆっくりストレッチをするのがよいだろう。そう思って起床してからしばらく体を動かしていた。どうにも回復が遅い。
感染症がなければジムにでも行って疲れない程度に走ってシャワーを浴びればだいぶラクになったかもしれない。しかし、昨今の情勢は医療関係者からみると悲惨の一言で、医療従事者が濃厚接触者になってしまい出勤できないために病院内の各所の仕事がぜんぜん回らないという事情もイヤと言うほど知っている。こんな状況で医療機関の主任部長がジムに行くのはさすがに躊躇せざるを得ない。かと言って、札幌は豪雪のまっただ中だ。外を走ることなどできない。でこぼこの道に足を取られて路肩の雪山に全身ダイブするのが関の山だろう。運動はあきらめて、長いこと体をひっぱり続けた。
1時間以上経って多少は気にならなくなった。昨日の原稿を見直して編集者に送るために出勤。デスクに付いて座ろうとしたら、椅子の形に体が収まった瞬間に、これはもう言語化するのが難しいのだけれども、「原因はお前ら(デスク周りのあれこれ)だ」ということが肌からビシビシと伝わってきた。連日ここで没入しすぎたから今全身が痛いんだ、ということが、外付けキーボードやマウス、モニタたちによって異口同音に語られる。「お前もう帰れよ」「それはマジで帰れよ」という声が本当に聞こえそうだ(ぎりぎり聞こえなかったが時間の問題であろう)。
ふうーーーっと息を吐いて考えた。
顕微鏡を見るときもパソコンに向かうときも、この椅子の背もたれを倒すことはないが、今日は大きく背中をあずけて反り返って伸びてみた。普段使わない機能に驚いて椅子がギシギシと鳴いた。デスク横に置いてある読みかけの本を手にとってパラパラとめくって、また閉じた。帰ったほうがいい、休んだほうがいい。「でもぼくはもっと根本のところで安心したい」。なんだろうこの気持ちは、と思った。単なるワーカホリックなのか? 自律神経が失調して痛みの閾値が低くなってしまっている今、なおデスクにいようと思っているというのは認知が歪んでいる。認知を歪めたのも仕事のストレスなのか? でもぼくは「せっかくだからもう少しここでやれることをやって、もっと安心してから家に帰りたい」と思ってしまっている。堂々巡りだ。
頭を使わずにやれることを探した。そうだ、確定申告がある、と思って必要書類をとりだした。診断とも原稿書きとも違って確定申告ならば、歌詞のある曲を耳元で流していても気にならない。気に入ったラジオをかけてパーソナリティの声に耳を澄ませることもできる。失敗したからと言ってペナルティはせいぜい追徴課税だろう。なんの責任もないからゆっくりやれるなあと思った。これはプライベートだ、趣味だ、仕事ではない、だからストレスはかからないんだぞ、と自分の自律神経に言い聞かせるようにして、書類の入力を進める。いつもなら30分で終わるような内容をたっぷり2時間ほどかけて、しょっちゅう気を散らしながら、音楽に脳を持っていかれながら。めったにやらないことだが途中で病院内ローソンに行って、六花亭のバターサンドのパチモンみたいなお菓子を買って食べた。ISO認証を取得していないうちの職場のデスクでは仕事中に食事が可能だが、ふだんはおやつなど一切食べない。でも今日は別だ。ほら、これならストレスがかからないだろう? 何度も何度も脳の無意識領域に確認を取るようにした。すべて終わって帰宅して、家族でご飯を食べた後、イッテQが終わるころには布団に入ってさっさと寝た。俺にはストレスはない、俺にはストレスはないんだと唱えながら。
開けて月曜日。体の痛みはほとんど回復した。首回りも落ち着いている。肋骨も痛くない。「いい加減にしないと、そういうことだからな」と言われた気がした。朝から会議だったがなるべくテンションを抑えめにしてあまり熱中しないようにする。その後、最初のプレパラートが仕上がってくるまでの時間は比較的余裕がある。メールにいくつか返事をして、問い合わせの電話に答えて、そうこうしているうちにプレパラートが仕上がってきて、これなら1時間半後にはここまでいけそうだなと脳内ではじき出す……のをやめる。「まあ、普通にやってればいつも通りいけるはずだよ」くらいで、あとは細かな計算をしない。脳内に保存されたキャッシュを捨てる。クッキーも消去。メモリを解放して常駐タスクをいくつかシャットダウン。目の前にあるプレパラートだけに注目して淡々と診断をする。これでぼくの自律神経はまたいつものようにコントロールを再開してくれるだろうという確信がある。そうやってやりくりができるようになったのが、ぼくがこの20年で成長した証だ。次の原稿依頼は断ろう。次の論文投稿は共著者にもいろいろがんばってもらおう。まあ、断らないだろうし、自分でやるんだろうけれど、またこうやって体のアラームを鳴らすくらいなら、のらりくらりと逃げながら保つやりかたは必ずあるはずだ。だってぼくはもう、成長したのだから。