2022年2月7日月曜日

病理の話(624) 神経が脳の言う事を聞かずに勝手になんかする

「つい反射的にポチっちゃったわ~」みたいに、反射という言葉はわりと一般によく使われる。反射的に○○する、の反対はなんだろうか? 熟慮して△△する、になるかな。


その元ネタ(?)になった「反射」は、人体の中に備わったなかなか強力なシステムだ。一番有名なのはなんだろう。膝のちょっと下にあるくぼんだところをハンマーでコンとやると足がクイッて動くアレ。アレは反射です。「膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)」という。頭で考えていないのに膝下が勝手にうごくので、わかりやすい。


膝蓋腱反射はいわゆる脊髄反射(せきずいはんしゃ)のひとつである。専門用語がいっぱい出てくるのでびっくりするが、膝蓋腱(しつがいけん)は膝の叩く部分のこと、脊髄(せきずい)はこの現象にかかわる神経が通る場所のことなので、分けて考える。

膝のくぼんだところには、それより足先のほうにある筋肉の腱(けん)がついている。これが膝蓋腱(しつがいけん)だ。この腱をハンマーで叩くと、太ももの筋肉がキュンと引っ張られる。すると、筋肉の中にある感覚神経が刺激をうけて、脳に向かって情報を届けに走り出す。感覚神経は背骨の中を通っている脊髄(せきずい)につながり、ここまで刺激が猛スピードで届くのだけれど、じつは脊髄にたどりついたところで、二手にわかれる


イメージして欲しい絵がある。膝を叩いて刺激をうけた筋肉を「事件現場」と考えよう。現場で目撃した人が、生活道路をダッシュして脊髄までたどり着くと、そこには「交番」(まわりの情報を集める)がある。交番で連絡を受けた人は、「大きな警察署」、すなわち脳に連絡を入れる。「大変です!判断よろしくお願いします」。国道(脊髄)を上に登っていって、本部(脳)まで走っていく。しかし、上層部の判断を待っている間に現場がどうなるかわからないので、ただちに「交番から現場に引き返す」人がいる。交番レベルでひとまず「ちょっとその筋肉、刺激を受けて伸びちゃってるから、いそいで縮んで!」と、脊髄のところから筋肉に向かって折り返し刺激を飛ばす。脳の指令を待たずに、である。


現場→交番→脳→交番→現場(情報をきちんと届けて指令を待ち、その通りに動く葛飾区亀有公園前派出所の大原部長)

現場→交番→現場(緊急で現場保全のためにとって返す両津勘吉)


こうして、大きな警察署(脳)に情報が届くより少し早いくらいのタイミングで、交番(脊髄)から折り返した刺激が筋肉に届いて筋肉がキュンと縮む。両津の方が足が速い。交番の判断で筋肉を動かしてしまうこの現象を交番反射……ならぬ脊髄反射と呼ぶ。脳とは関係なく筋肉が動くので、ぼくらからすると、「うわっ何も考えてないのに筋肉が動いた」となるのである。


脊髄反射はとても強力な現場監視システムで、あちこちに導入されているのだが、せっかくなのでもうひとつ、ぼくが「うわっ人体すげえ!」と思った話を加えておく。


お腹の壁に炎症が起こると、腹筋がバキバキに硬くなる現象がある。これは「筋強直」(きんきょうちょく)と呼ばれており、医者をやっていてこれに遭遇すると「うっ、まずい」と思えるような大事なサインである。たとえば、胃に激しく穴が空いて腹膜炎になった患者は、お腹の筋肉が硬くなり、ひどくなると板状硬(ばんじょうこう)と言って(患者の意志にかかわらず)腹筋が板のようになってしまい、患者は痛みと筋肉のつっぱりでぴくりとも動けない。これが、じつは「反射」によって起こっている。腹膜に炎症があると感じた両津勘吉が交番からただちに現場にとってかえして、筋肉を硬く緊張させつづけているのだ。

これには意味があると言われている。お腹の壁に一大事が起こっているときに、そのまま筋肉を自由に動かしている方があぶない。いわゆる「現場保全」ができない。少しでもダメージを減らすためには、患者の意志にかかわらず、その部分を動かさないために筋肉を緊張させつづけておいたほうがいいのだろう。


さて、ぼくが「人体すげえ!」となるのはここからだ。「交番の判断で筋肉を動かし、ときにはガチガチにして動きを止めるシステム」、すなわち脊髄反射、これが脊髄のあらゆる場所で起こるわけではない。お腹の下の方で炎症があっても、太ももや足のつけ根あたりの筋肉が硬くなることはない。そこには反射システムが届かない。両津勘吉は太ももには無理難題を言わない。不思議だろう、なぜだと思う? 「真の答え」はカミサマと筋肉と神経に聞いてみないとわからないかもしれないが、医学というのはなかなかしっかりしていて、けっこう有力な仮説がある。「腹筋をバキバキに硬くしても、足の筋肉が動ければ患者は歩いてその場を逃げ出すことができるが、足の筋肉を硬くしてしまうと、その場から逃げ出せないから」ではないかというのだ。腹部にケガをしたときにお腹をそれ以上刺激しないように反射で筋肉を硬くするのはいいとして、足まで動けなくなったらかえって危ない、二次災害に巻き込まれるかもしれない(外傷によるお腹のケガをイメージしています)。だから、太ももあたりはお腹の刺激に対しては脊髄反射が起こらないようなシステムになっている、というのである。ぼくはこのくだりを解剖学の本で読んでびっくりしてしまった。進化すげえ。