2022年2月14日月曜日

病理の話(626) エピジェネティクス

病理医がわりとよく読む雑誌『病理と臨床』(文光堂)の、2022年2月号はエピジェネティクス特集だ。同様の特集は13年前に一度組まれている。えっ、エピジェネティクスって……どういうコト……!? とちいかわが疑問に思うのをいったん放置して話を先に進める。


今回の特集号は愛媛の北澤先生と帝京の宇於崎先生の編集によるものだが、13年前に同名の特集を企画した現・慶應大学の金井弥栄先生は、当時、国立がんセンター研究所のトップをなさっていた。その少し前にぼくは国立がん研究センター中央病院に研修に行っており、金井先生には泌尿器科病理診断を教えてもらった記憶がある。組織診断能力はもちろんだが、めちゃくちゃに日本語能力が高い方で、許可をもらって金井先生の書いた病理診断の「所見」部分を手入力で自らのPCにコピーして札幌に持ち帰り、毎日眺めて日本語の勉強をした。病理診断の文章から「細胞像」が浮かび上がってくるのだ、あれは一種のバケモノであった。その尊敬する金井先生は、13年前にすでにエピジェネティクス研究における国内外のトップランナーであったが、なんと今年の『病理と臨床』でもあいかわらず原稿を書いていらっしゃる。まったくスピードがぶれていない、どころか、13年の進歩を牽引している。おそれいる。


さてちいかわが激ギレする前に解説をする。エピジェネティクスとは……「DNAに貼られた付箋(ふせん)」を解析する学問、というのが狭い意味である。最近はもう少し広い意味で用いられているが、今日は話をかんたんにする。


いきものの細胞の中にはDNA(物質名)と呼ばれるものが入っている。DNAはA,T,G,Cという四つの塩基(物質名)の組合わせでできた長い長いプログラムである。このプログラムを実行すると、細胞内にある「3Dプリンタ」が稼働して、さまざまなタンパク質が合成される。ざっっっっっくりと説明するとそういうことだ。

で、3Dプリンタを稼働させるためのプログラムを前から順番に読んでいくかというと、話はそう簡単ではなくて、細胞ごとに、「プログラムのどのへんを、どれくらいの頻度で読むか」というのがコントロールされている。このとき、DNAに貼られている「付箋(ふせん)」が活躍する。


付箋がついた部分のプログラムを優先して読む、とか。

逆に、付箋がついた部分は3Dプリンタが読み込まないようにする、とか。


そういったコントロールのありようを考える学問がエピジェネティクスだ。付箋がどのように活躍しているかを研究しているのである(ざっくり)。DNAというプログラムにナニが書かれているかを検討する学問をジェネティクス(遺伝学)と呼ぶが、それにエピをつけて……つまりは「余計なもの」をくっつけたエピジェネティクスは、「周りにくっついているものを研究する学問」、そんな感じでぼくは覚えている。

もっとも、今回の特集号を読むと、エピジェネティクスという言葉はエピ+ジェネティクスではなくて、エピジェネシス(後形成、もしくは後生)という単語とジェネティクスとの造語だと言うので驚いた。あらそうだったのねという感じだ。まあそのへんは興味ある人が読んでください。


で、この、エピジェネティクス特集を読んでいると、これはある種の人が一生+他の人びとの一生も巻き込むので結果的に百生とか千生くらいをかけて取り組まないとぜんぜん歯が立たない難しい分野だなあということはわかる。象徴的なのが、ときおり出てくる「AI」の文字。解析するパラメータが多すぎるので、機械学習技術などを使って「人智を越えて」研究しないとどうにもならないレベルなのであった。えっ、これ、人体全部じゃなくて、たかだか細胞1個の話をしてるんでしょう? と思わず上品にたずねてしまうが、細胞1個どころかその中にあるタンパク質1個を作るにあたっても、かつてぼくが考えていたようなセントラルドグマ(DNAからRNAを作って、それをタンパク質にするという流れ)だけではどうやら説明が足りないのでございますですよ。いやーすごいわ、化学反応の末にある生命ってかんじ。


このようなエピジェネティクス特集を読むと、たいていの用語は「まあ知っている」のだけれど、それらが組み合わさると「知っているはずなのだがだんだんわからなくなってくる」のが難しいなと思う。素人に説明するのが難しいどころか、いちおうプロと名乗っても良いはずのぼくが理解できていない部分がまだまだある。「胃癌のエピジェネティクス」なんてぼくの研究内容にかなり肉薄しているのに、えっそこはそう考えるの? みたいな解釈のずれもあって、難しい、おもしろい。


加えて言うと、昔からこのような基礎医学というのは、基礎研究者がやればいいものであって、現場で患者さんを前にする医者たちが知っておく必要はあまりないのではないかと思われていた(いる)ふしがある。しかし、特集号を精読して思うことは、「これを知らないと抗がん剤の説明なんてできないじゃないか」と言うことである。現代の医学は患者の病気を遺伝子レベルで解析して、それに応じた治療をいかに患者にあてがうか、という、オーダーメードというか、ウーバーイーツというか、とにかく「その人にはこれしかない!」というところをピンポイントで探るようなことを平気で行っているので、検査の数も増えるし、患者に対する説明だって難しい。だから現場の医師も、「ああ、MSI検査ってのはエピジェネティクスのここにかかわることなのか」というのを知っていないと、そもそも患者にほどこす治療のことを自分で全く理解していないということが起こりうる。


「テレビが映る理由を知らなくてもテレビは見られる」という論がすこし広まりすぎてしまっているように思う。テレビならそれでいいけれど、病気、あるいは人生を考えていく際に、患者が、「わかんねぇけど治してくれりゃそれでいいよ」と言うのはまだよいとして、医者も一緒になって「わかんねぇけど治ればそれでいいよ」とはならない。なぜなら、テレビを見る分には中身は知らなくてもいいかもしれないが、テレビを直す方はそれでは困るからだ。そして、現代は、患者もまた、「どうせ見るならそのメカニズムも知りたいな」と思いがちな時代である。けっきょくは勉強していくしかない。たとえ、人智を越えたところでうごめいている、複雑系の極みのようなシステムだったとしても、AIを使わないとおよそ全貌が把握しきれないような広大な世界だったとしても、その世界とかかわるぼくらのありようによって、世界が反射する光の種類は違って見えるのだ。