2022年2月9日水曜日

病理の話(625) なれ合いでお金をもらっていなくてよかったという話

数年前のことである。


「ヤンデル先生、いつもツイート拝見しています。次の病理学会総会にいらっしゃるのでしたら、一度ご挨拶させていただけませんか?」


医学部の学生時代に会社を興した、ぼくより一回り以上若いベンチャー社長からメッセージをもらって、へえ、おもしろいこともあるものだと思った。ツイッターをいつも見ているというのはありがたいが、それとベンチャーの商売と何か関係するところがあるのだろうか?


いくつか自分の中で線引きする部分を決めてから、東京国際フォーラムのカフェで待ち合わせをして社長と……あと重役みたいな人と会った。


いずれもとびきり若い。エネルギーに満ちあふれていて優秀そうなオーラが伝わってくる。そして、医療系ベンチャーの人あるあるなのだが、話すテンションがまんま研究者である。それはそうだろう。医学部時代に研究したことを元に起業しているタイプのベンチャーなのだから、心の芯の部分はリサーチャー(研究者)であり、真の居場所はアカデミア(学究する場)なのである。


で……ぼくに何の用が?




彼らは言った、ぼくがそれまでにいくつかの場所で発表していた、「病理医はAIに仕事を奪われるだろうか」のアンサーに、興味を持ったのだと。だから会って話をしてみたかったのだと。


ぼくはさまざまな講演の中で、だいたい以下のようなことを言っていた。


・基本的に今ある病理診断の多くはAIによって代替可能、というか、目標をより高く設定することで、今の病理診断よりもさらに患者や医療者の役に立つことができるようになる。

・だから、病理医の今やっている仕事の多くは、ヒトがやる必要がないし、ヒトがやり続けてはいけないとすら思う(クオリティがAIよりも相対的に低いので)。

・ただし、人間の病理医が要らなくなるかというとむしろ逆である。なぜなら、AIが面倒な仕事をすべて代わってくれる分、ヒト病理医は「病院内に常駐する分子細胞生物学・組織形態臨床相関学の専門家」としてむしろその役割を強めるからだ。「細胞のことをわかる人間」がいることで、臨床の現場も研究の現場も大きな恩恵を受け取る。

・この150年間で、病理診断は、「世に登場した使えるツール」にあわせてどんどん進化した。かつてヒト病理医がやっていた仕事の多くは、現在、よりよいツールによって淘汰されている。これは別にAIに限った話ではない。たとえば、Ziehl-Neelsen染色を用いた結核菌探しよりも、抗TB抗体免疫染色のほうが精度は高いし労力は少ない。昔を知る病理医は、なんとなく新旧両方の手段を使って診断をするのだけれど、実際には新しいほうがあれば古い方は不要である。というか、古い方を使っていると、病理医の能力によって診断にばらつきが出てしまうので、長い目でみたら医療現場にとっては損である。AIによる変革もそれに近い部分がある。

・病理AIを使って鍛えるのが臨床医や研究者であるよりも、組織診断を知り尽くしたヒト病理医がAIを研究したほうがいいことがある。現場に足りていること、足りていないこと、細胞を知っている故の発想、多くの医療者と日常的に会話をしている強み。



ほかにもいろいろあるのだが、大枠ではだいたいこのようなことを言い続けていた。ベンチャーの彼らは、「意見が同じ人なので会ってみたかった」と言い、これから自分たちがどういうことをしていきたいのかという話をしてくれた。

ぼくはその話を応援しようと思った。とは言っても、別に彼らだけに限定して肩入れしようと思ったわけではない。そもそもぼくはありとあらゆる病理AI研究を応援していた。同じことを彼らに対しても約束するだけのことだ。

「応援しますよ」と言うと、「先生が私たちの活動をよく広めてくださるならこんなにありがたいことはないです」と彼らは言った。

そこでぼくはこう付け加えた。




「あなたがたの最新の研究内容をその都度教えて頂けたらとてもうれしいですが、それらを聞いて許可なしに外で話すようなことは一切しません。代わりに、あなたがたが公式に出した論文やプレスリリースをツイッターなどで取り上げて、みんなと一緒に考え、これからの病理診断の未来について思いを馳せるヒントにする、みたいなことをやらせてください。これはぼくとあなたがたの、ツイッターを通じた友人関係にもとづく行動ですので、間にお金のやりとりが発生しないように、御社でもなんかうまくかんがえておいてください。広報費とか顧問料とか、そういったものをぼくが受け取らず、かつ、ぼくが受け取らなくても皆さんがあとで監査で困ったりすることのないようなかたちを保てるようにシステムを整えて頂ければと思います。外部顧問とか外部取締役みたいなのはよくない気がします。研究の世界を一般にも広く周知することはとても大切ですし、広報にお金をかけることも必要ですが、お金をかける先がぼくのような医療者であってはいけません。そこは世間は許しません。どれだけ理路が整っていても感情が許さない、という人たちがいるのです。ぼくらはあくまで同じ業界で違うやり方で研究を進める同業者です。したがって、ぼくは自分の研究心を満たすべく、友人からいろいろなことを堂々と教えていただくだけの存在です。ぼくがそれを考える過程ではツイッターなどでつぶやくことが役に立ちますし、その結果、副産物として、多くの人びとにも知ってもらえる、というのが理想だと思います」



よどみなく言ったぼくのこれは、本当にあちこちでよく話す内容なので、何度もしゃべりすぎてほとんど自動的に出てくる内容である。

たとえば本の書評を書いてくれと言ってくる人びと。あるいは、なんらかの医療系イベントに出席して何かしゃべってくれと言う人びと。ぼくはそういうのを「ツイッターで友人関係になれているかどうか」を基準にして考えるし、金銭を軸に関係を結んで契約してどうこう、というのはやりたくないし、医療者・研究者としてそれをやるのはダメなんじゃないか、と思っている。それをやっている他の人までがダメだとは思っていない、ただ、ぼくがそれをやったらダメだということだ。

それまでに関係のなかった人からいきなりツイッターのフォロワー数だけを見て依頼されても「あなたとの間には関係ができていないから」という理由でお断りする。

心ない人があとで探偵をやとって、ぼくの周りを根掘り葉掘り調べたときに、ナアナアになっている部分を掘り返され、存在しない悪意を勝手に見つけ出して大騒ぎすることのないように、お金に関わる部分については本当に気を付ける。正味で考えてぼくが大損をするくらいでちょうどいいのだ。



ぼくは今でも、くだんのベンチャー企業だけでなく、さまざまなAI研究をしている人たちから最新の情報を教えてもらえているし、その情報のやりとりにおいて金銭は発生していない。このことを、研究業界では、Conflict of interest(COI: 利益相反)がない、と言う。

別に「COIがあっても」、その都度申告すればいいだけの話で、研究者が企業からお金をもらうこと自体はまったく間違ってはいない。これは研究者にとってあたりまえのことだ。

ただし、ぼくは、ツイッターなどでたいていの研究者に比べるとやや多数の人からじっくり眺められている立場である。「正味で考えてぼくが大損」をしていないと猛然と殴りにくる人がいる。殴りにくる人が悪い、それはまあそうなのだけれど、暴力的な指向性をもった人のそばに無駄に角材や鉄パイプを放り出しておいても武器を与えて喜ばせるだけである。

ぼくは「誰が見てもわかるような公正な(金銭)関係」において共同研究者たちと研究をしていきたいし、あのとき、東京国際フォーラムの会場で、「いい会社ですね! だったら社外営業としてお手伝いできますよ。つきましては正規の料金で月にこれだけのお金をいただければ」などと言っていたら、ぼくは今ごろこれほど清々しい気分で病理AI研究に邁進することはできていなかった。古い価値観かもしれない、そう、ぼくは少しずつ、自分が古い方の人間だということを自覚させられる場所で暮らしている。