医者が嫌われはじめているなあ、という話題を、たまに医者どうしで話す。
ぼくは、
「そのへんを歩いている人を100人連れてきて医者をどう思うかとたずねても、別になんとも思ってない人が99人で、1人くらいが『こないだお世話になりましたぁ』とか言うだけだと思うよ」
と言ったが、ほかの医者はくちぐちに、
「ネットでも医者叩きを見るようになった、今までそんな人いなかったのに」
と言う。
攻撃性のあるメッセージが以前よりも目に付きやすいのは、SNSなどのプラットフォームがそこを強調しがちだからだ。実際に医者のことを攻撃したがる人の総数は、そんなに増えてないんじゃないかな……と思う。
ただし、「攻撃したい人たち」がお互いに”仲間”をみつけて群れることができるようにはなった。SNSで自分のほかにも医者を叩いている人がいると、「これって俺だけじゃないんだ」と安心して叩きを加速させる人もいるかもしれない(しょーもないことだが)。
加えて、「攻撃される側」が「攻撃したい側」と不幸にもマッチングしてしまう状況、つまりはいじめマッチングサービスみたいなものが現実にできあがっているとは思う。攻撃の声がさほど労力もかけずに的確に相手に届いてしまう。無駄にべんりになった。
したがって、「ネットでも医者叩きを見るようになったよ」と医者が言うのはたぶん本当のことである。よりくわしく言うと、医者以外は「医者叩き」を目にする機会は少ないかもしれない、なぜならマッチングによって「医者の悪口は医者にピンポイント届く」ようになっているからだ。そういうわけで医者は「悪口を目にするようになった」のだと思う。「今までそんな人いなかったのに」は一文字手直ししよう、「今までそんな人見なかったのに」とすれば満点だ。
叩かれている側は「最近敵が増えたな」と思い、叩かれていない人たちは「そんなことないよ、あなたの味方はいっぱいいます」とはげます状況。どちらも本当で、どちらも嘘である。敵も味方も視認しやすくなったということと、実際にそう思う人の数が増えたかどうかは、分けて考えなければいけない。
そして、ここまでの話をぜんぶひっくり返すようなことを言うと、ぼくらの生活にとって根本的に大切なことは、実際に自分たちを憎んでいる人の総数が増えたかどうかではなく、「目に届く範囲でいやなことを言う人の数が増えたかどうか」なのである。実際の敵の数が増えていようが減っていようが自分から見えていなければどうということはないのだ(気づかない故の不幸はあったかもしれないけれど)。
「世界の真実」とやらに興味がなくなっていく。自分と世界との関係のなかで、自分が感受できる世界のすがたが、必ずしも「ずっとそこにある確たる世界の、一部分」とは限らない。完全体の、イデア的な、「いわゆるすべての世界」がどこかにあって、その一部だけをぼくらは見ている、人間は不完全にしか認知できないのだ……みたいな話ともじつは違う。どれだけ見ても、ぼくが見るのとあなたが見るのとでは世界自体が変容している、と考えたほうが辻褄があう。ぼくの成分を加えた世界とあなたの成分を加えた世界とは別モノなのである。豚肉とにんじんとたまねぎとゴボウが煮られていても、そこに自分という名のカレールーが入ればそれはカレーだし、あなたという名のホワイトソースが入っていればそれはシチューなのだ。別である。素材に共通するところがあろうが味は違うし料理名も違うし値段も違うしシェフのこだわりも違うのだ。ところでカレーにゴボウって入れる? うちは入れる。皮付きで。えっ、皮付き!? あとときどきカタマリ肉も入れる。骨付きで。えっ、骨付き!?
同好の士を集めるのにSNSほど役に立つツールはない。ただし、味方同士で群れることはときにエコーチェンバーだとかなれ合いなどと言われて、ネガティブなイメージで語られたりもする。このことを考え進めていくと、「医者には敵が多い」というのはSNSで敵同士がうっかり群れてしまうことによる、いわゆる「逆エコーチェンバー現象」みたいなものなのだろう。はたから見ていると、「世間にはそんなに医者の敵なんていっぱいいるわけでもないのに、あの医者はやけに敵とばかり戦っているなあ、偏っているなあ」と感じられたりもする。味方も敵も偏るのがここのありようなのだ。
極論すると「マッチングすること」自体に人間のキャパシティを超える刺激のやりとりがある。こことこことを結びましょう、回路でつなげましょう、というのは生存においては不利なのかもしれない。事実、脳はいくら解析しても「こことここがつながっている」という回路がなかなか見えてこないので研究者も困っている。脊髄視床路みたいなわかりやすい「ルート」がもっといっぱいあってもいいのに、fMRIをどれだけ撮ってもなかなか見つからないのは、もしかすると、進化の過程で、脳が「これ以上マッチングしまくるとデメリットのほうが多いなあ」と気づいて、脳が「神経エコーチェンバー」を避けるために、あえて接続を切りまくって流動的なシステムに「進化的に逆戻りさせた」のではないか、などと邪推するのである。最後のはわりと嘘まみれなのであまり信用しないでいいです。