お金の話をしよう。
日本では、大腸ポリープをひとつとったら病院は患者からいくらお金をもらってください、胆嚢をとったらいくらもらってください、という額が、国によって決められている。
さらに言えば、「○○病で胆嚢をとったらいくらもらってください」というように、病名×治療法の組み合わせごとに、細かく金額が定められている。
たとえば、まったく同じ病気にかかった人は、退院するときに、基本的に似たような額のお金を支払うことになる。ただし、個室料金など医療と関係ない部分の支払いがくわわるので、完全に同額にはならないが。
なぜ、「医療」というサービスの額を国が決めてしまうのだろう。病院が、自分たちの努力に応じて値段を釣り上げてはいけないのはなぜか?
代官山のオシャレなカフェのコーヒーが1200円を超えても客は「まあ、そういうもんだよな」としぶしぶ納得するけれど、手術1回でブラック・ジャックが「3000万です。びた一文まけないぜ」と言うのは許されない。これはなぜか?
理由はわりとわかりやすい。
医療費の大半を支払うのは、「健康保険」だからだ。「俺、金あるよ!」という患者がいても、支払いの大半は患者自身が払うわけではなく、事実上、国民が払っている。
もし、病院ごとに医療の値段が異なって、患者が「少しでもいい医療をうけたいから高い病院をえらぼう!」とやったとしても、高い支払いのうち、患者本人が払うのは3割以下でしかない。7割以上は、国民から徴収した保険・税金によってまかなわれる。
したがって、病院があまり勝手な値付けをすると、国民みんなの負担が増える。だから、国は、医療行為に対して「診療報酬」というのをこまかく決める。病院はこの診療報酬にあわせたお金しか稼いではいけない。
たとえば、「S状結腸切除術」という手術がある。手術でお腹をひらいて、大腸の一部を20センチとか30センチといったオーダーで切り取ってくるものだ。この、「小範囲切除」とよばれるタイプの大腸手術にさだめられた診療報酬は、
24170点
である。なぜ「点」を用いるのかはめんどうなので説明しないが、日本円に換算すると基本的には1点=10円としてよいので、発生する金額は241700円である。
ただしこれはあくまで「手術」という医療行為だけに支払われるお金だ。
実際にS状結腸切除術を行うと、手術に必要な検査や投薬という医療行為がめちゃくちゃいっぱい必要になる。そのすべてに診療報酬が定められている(つまり国が金額を決めている)。ぜんぶ総合すると(※後述するがDPCというまとめシステムがある)、入院1回で病院に入ってくるお金は、だいたい135万円くらいになる。
でも患者が支払うお金は、このうち40万円ちょっとだ。
残りの95万円は国民から集めた医療保険や税金でまかなわれる。
(※高額療養費制度という患者救済システムがあるので、40万円払ったあと、その多くは患者に返還される。この財源も国民から集めたお金である。)
手術ってめちゃくちゃお金かかる。でもそれくらいかけないと、何十人ものスタッフの人件費や、最新かつ衛生的な医療機材、物資代、施設の管理費用などがまかなえない。病院ってちゃんと運営しないと普通につぶれる。
さて、外科医が中心となり、麻酔科医や手術看護師、生体工学技士など多数のスタッフによって支えられているS状結腸切除術の診療報酬額が241700円であった。241700円かけてとられたS状結腸を、細かく見て診断するのは誰か? ここで病理医の出番だ。つまりは病理診断を行うのである。
なお、登場するのは病理医だけではない。採取されたS状結腸を標本にするのは臨床検査技師だ。つまり、手術ほどではないにしろ、病理診断にも多数のスタッフがかかわっていて、手術でとった検体を詳しくチェックしていく。
ではこの病理診断に対する診療報酬は、いくらか?
なんと……520点なのである。つまりは5200円だ。
やっっっっっっっっっっっっす!
れっきとした医療行為なのにやっす!
患者にとってはいいことであろう。手術で臓器をとるプレッシャー、ストレス、そしてかかるお金のことを考えると、とりおわった臓器の検査なんて病院でやっといてくれよ、って感じなのではないか。
しかし、病理診断も医行為だ。そこには人件費も試薬代も機材の維持管理料金もかかっている。パラフィン包埋装置ひとつ買い換えるだけで何百万もする。
病理診断はすべての医師たちが頼りにしている「検体診断の要」だ。各種の診療ガイドラインも病理抜きではすすまない。だから金をかけてしっかりやっている。
しかし診療報酬は安い。つまり病院は、基本的に、病理診断をしっかりやればやるほど赤字になる。
病理医を複数雇っている病院には、さらに追加で診療報酬が加算されるシステムというのもある。「なあんだ、そうやって結局うまいこともうけてるんでしょ?」 いや、これがまた悲しいことに、複数の病理医がいることで加算される点数は合計でも440点どまり。
つまり病理診断1回で、10000円以上病院が受け取れることはなかなかない。
免疫染色と呼ばれる特殊な技法を追加すればさらにちょっと増えるけど……うーん……ケタが違うんだよな……。
ていうか、これらの定められた診療報酬はあくまで「目安」である。実際には、さっきちょっと書いた「DPC(診断群別包括評価)」というのがある。病名×治療方針ごとに、患者(+国)がしはらう医療の総額は、どんな検査をしようが、どれだけ病理診断を細かくしようが、まとめて決められている。専門用語で言うと、「まるめこまれて」いる。
だからけっきょく病理診断なんてやってもやんなくても病院の稼ぎ的にはなんの影響もない。
国が認めた「病院にお金をどれだけ返してやるべきか」の基準がそもそもめちゃくちゃ安いから、経営的には完全にお荷物である。
……なのになぜ病院は金をかけて病理医を雇い、病理検査室を整備するのかって?
そうだなあ……理由は……「知を担保する部門だから」かなあ……。
町に図書館を作ったところで誰かがめちゃくちゃ稼げるわけではないでしょう。公益のためってそういうことだよね。病理部門の設置もそれにちょっと似ているのかもしれない。もうけが出ない部門です。しかし、金だけで医療を回しているわけではないので。