「がん」の患者がいる。病変部から検体を採取し、がんであることを病理診断で確定した。
そこですかさず、「次の検査」にうつる。
がんか、がんでないかを決めて病理診断が終わりというのは、(ケースバイケースだが基本的には)一昔前の話だ。
「そのがんがどういう性質を持っているのか」。
より具体的に言えば、「どういう抗がん剤が効きやすいか」を調べるのである。
患者ごと、がんごとに、オーダーメードの治療をするためには、絶対に必要な検査である。
がんの性質をどうやって調べるか。
顕微鏡で細胞を見るためのプレパラートと同じように、がん細胞をプレパラートに載せたものを、もっとたくさん用意する。10枚とか15枚とか、場合によっては20枚以上。いっぱい用意したプレパラート上に、たくさんのがん細胞が載っている。
いつもは、これらにH&E染色という染め物をして、人が顕微鏡で見やすいように工夫をしているのだが……。
今回は染色をしない。目で見るのではなく、その細胞の載ったプレパラートを、検査センターに送って、がん細胞に含まれる遺伝子を調査してもらう。
すなわち、「がん細胞の性質を調べる」にあたって、遺伝子解析をするのである。
細胞を薬品で溶かし、中に入っているDNAを抽出して、それらにどのような「変異(へんい)」が入っているかを調べる。
EGFR, BRAF, ALK, ROS1, MET, RET, RAS……。
これらに変異が入っているかいないかを次々と調べていく。どれかに変異が入っていれば、その変異に対応した「効きやすい抗がん剤」を、次の治療で使うことができるのである。
「がん細胞の中にあるDNAに、どのような変化があるかによって、抗がん剤の効きが違う」という一文は、わかるようでわからないかもしれない。
うーん、例え話だとどうなるかな。
ヤクザの出身地が香川県だとしたら、讃岐うどんを食べさせながら取り調べをしたら簡単に自白する、みたいなかんじかなあ。違うか……。
とにかく、EGFRに変異があればこの薬が効きやすい、RASに変異があればこの薬は効きにくい、みたいなものがある。
それも、毎日のように、新しい組み合わせが見つかっている。日進月歩だ。患者からするといいことである。10年前には使えなかった薬が今は使える、ただし、その薬にぴったり合った「遺伝子の異常」があればの話。だったらできるだけ多くの遺伝子を調べて、使える抗がん剤を選べたほうがいいのは当たり前である。
さて、この遺伝子解析、当然ではあるのだが、時間がかかり、金もかかる。そして、プレパラートに細胞を載っけてただ検査センターに出せばいいというのではなく、「患者からとった細胞の量が十分足りているか」、「がんをとってきたはいいが、大部分がヘタって(壊死して)いたりはしないか」というのを、病理医が顕微鏡で確認してから検査を出す。
これがけっこう面倒で、時間もかかる。検査センターへの郵送の往復時間も考えると、今日調べて明日わかるというものではない。
でも、患者からすると、検査というのはとにかく、早くわかればわかるほどありがたい。もちろん、中には、「いずれ必要になるかもしれない抗がん剤治療のために、早めに検査を出しておこうね」みたいなこともあって、そういうときは遺伝子検査に1週間かかろうが2週間かかろうが、さほど誰も困らないのだけれど、がんが大きくなっていて、すぐにでも治療をはじめたいというときには、なるべく1日でも早く、検査の結果を知りたいだろう。
病理検査室から「遺伝子検査の外注」をするときは、だから、ぼくらは、すごく急いでいる。
「検査センターの検体回収(ラボに検体を運んでくれる人がやってくる時間)まで、あと30分しかない! これを逃したら検体提出は明日になっちゃうぞ! そしたら来週は祝日が1日あるから、検査結果がへたすると再来週になっちゃうぞ! それはかわいそうだ! いそげ! いそげ!」
わりとこういう雰囲気で毎日ぴょこぴょこせわしなく働いている。この大急ぎの様子を、患者はもちろん、主治医もあまり知らない。でもたぶんぼくはこの外注作業だけで毎日1キロくらい痩せていると思う。
あ、ちなみに、検査センターからかえってきた結果を見て、電子カルテに反映させて、主治医と相談する仕事もしてます。これもけっこうせわしないよ。病理医ってわりとせわしないよ。