2022年10月7日金曜日

自意識過敏

旅行行きたい温泉入りたいおいしいもの食べたい!


でも、「旅行温泉おいしいものを豊富な選択肢の中から常に上手に選べる自分ダイスキ!」とか、「人がうらやむコンテンツに金を払った回数が自分の本質的な価値!」みたいな顔をするタイプの大人ではいたくない!


現在、このような、繊細ゴリマッチョ自意識をもてあましている。いわゆる自意識過剰と言われるやつである。




今、「自意識過剰」という言葉を何気なく使ってみたが、たいていの場合、自意識は過剰なのではなくどちらかというと過敏なのではなかろうか。

自分(の行動)が周りからどう見られているかを気にしすぎることを、「過剰だなあ」「過剰イコール贅沢だよ」「そういうのは減らすほうがいいよ」みたいに叩いて、ならそうとする社会の圧がある。しかしこれはそもそも、「気にしないように気を付ける」みたいな自己矛盾で解決できる話ではない。


「考えすぎだよ~」「そこまでみんな気にしてないよ~」みたいなセリフが、自分に向けて、あるいは他者が他者に向けて使われるのを今まで何度耳にしたことだろう。時候の挨拶かというくらい使われすぎている。聞いた回数だけなら「きっちり犠牲フライ」よりも多い。これ、言われたことがある人ならわかると思うが、「考えすぎなので考える量を減らす」というムーブは基本的にうまくいかない。なぜなら、「考えすぎ」というフレーズで表現される場面で実際に「能動的に考えすぎていること」はまず100%あり得ないからだ。

「考えさせられている」ことはある。「考えさせられすぎだよ~」なら、たぶんもっと場面にマッチする。しかしこのような言葉を使う人に出会ったことはない


考えすぎだと言われる人間は考えすぎているのではない。センサーが過敏すぎるのである。能動ではなく受動の話だ。「もっとのんびり生きなよ~」、いや、だから能動の調整でどうにかなる類いの話ではない。花粉症の人に「もっとくしゃみ止めなよ~」というのと構造としては一緒だと思う。鼻水は出そうと思って出るものではない。花粉を受け止めるセンサーが過敏すぎることに原因がある。それといっしょだ。思考はしようと思ってするものではない。自意識は増やそうと思って増やせるものではない。



体表に張り巡らせてあるセンサーを減らす方法はあるだろうか。アレルギー医療の世界では、抗原への暴露を避ける、的確な薬剤を用いる、などの方法のほか、「少量ずつ暴露させることで体を慣れさせる」みたいなけっこうギリギリの綱渡り的な方法を臨床試験レベルで用いることがあるが、これは患者が自己判断で「蕎麦アレルギーだけど食べられるようになるために舌の上にお蕎麦をちょっとだけのっけて我慢してみよう!」みたいなことをやっても絶対にうまくいかない(マネしないでください)、超絶難しい専門技能であって一般的にはおすすめできない。

ていうか一度過敏になるとそう簡単には治らないのだ。過敏である自分を把握した上で、刺激に触れる回数を調整して「乗り切っていく」、「やりすごしていく」のが対処としては最も適切である。


したがって、「旅行温泉おいしいものを豊富な選択肢の中から常に上手に選べる自分ダイスキ!」とか、「人がうらやむコンテンツに金を払った回数が自分の本質的な価値!」みたいな顔をするタイプの大人、に対する過敏反応がある場合、そういう大人と極力会わない、話をしない、そうすれば自意識センサーが過敏に反応する機会も減る。旅行温泉おいしいものを豊富な選択肢の中から選ぶという行動自体も減らすとなおよい。こうして当初の「旅行行きたい温泉入りたいおいしいもの食べたい!」という根元に近いところにある欲望が抑圧されることになる。毎日デスクで仕事しておけば過敏症は発動しない。本末転倒とはこのことだが、たぶん、このやり過ごし方をしている人はぼくだけではない。めっちゃいると思う。