2023年6月5日月曜日

病理の話(783) ほかの病理医の診断を見る

病理医を年単位でやり続けていると、「報告書(レポート)の書き方」みたいなものがある程度固まってくる。スタイルを手に入れるというか。

逆に言うと、最初はスタイルがないので、いろいろ教わる必要がある。


「胃炎のときにはだいたいこういうことをレポートに書こう」

「大腸癌の診断ではこれくらいの項目を記載するぞ」

「リンパ節が提出されたらこの順番で所見を書いていこう」


これらを臓器ごと、病気ごとに確認していくわけだ。


勉強し始めのころは、ボスが「ひながた」のようなものを用意してくれることも多い。バラエティ番組で「めくったら答えが書いてあるフリップ」があるでしょう、ああいうかんじのものを用意しておくわけだ。若い病理医は、フリップの空欄部分に、顕微鏡で見てわかった結果を埋めていく。細胞を見た結果を書けと言われても、何を書いていいかわからないときは、こういう穴埋め形式がとても便利である。


【肉眼所見】

[  ]検体。割面にて、[  ]×[  ]×[  ] mm大の、[  ]色調を示す境界[ 明瞭 不明瞭 ]な結節性病変を認める。

【組織所見】

組織学的に、病変内には異型を有する[  ]細胞が[  ]状構造を形成して増殖している。深達度は[  ]で、~~~~~(以下略)



こうして病理の訓練をしていくうちに、レポートを書くスタイルもだんだんと固まっていくのである。

(※なお蛇足だがぼくはレポートを全部敬語で書いている。)




さて、自分のスタイルもだいぶ固まってきたかな、というある日のこと。

もともと他の病院にかかっていた患者が、過去の病理レポートをたずさえて来院した。昔、ある手術をして、今回はそれが再発したかもしれないし、別の病気が新たに出たかもしれない、ということなのだそうだ。

昔の手術は他の病院で行われているから、その病理診断も、当然自分以外の病理医が書いている。日頃なかなか見る機会のない、他の病理医が書いたレポートに、興味しんしんになる。

「あの病院では、どんな病理診断をしているのかな?」

いざ、他の病理医の書いたレポートを見ると、スタイルがいつも自分で書いているものとはだいぶ違う。すごくおもしろい(患者の病気をおもしろがっているわけではないので悪しからず)。

百人の病理医がいれば五十通りくらいのスタイルがある(さすがに百通りとまでは言わないが)。

師匠が違えば書き方も変わる。

主治医のオファーが変わるとレポートの様式も変わる。

同じ細胞を見ていてもこんなに書き方が違うのか、と驚くこともしばしばだ。

イメージとしては、同じ野球の試合を見て作られたはずの朝のテレビ番組でも、局によってVTRの流し方やフリップの出し方がまるで違う、みたいなのに近い。



野球の例えを続けよう。「誰が見ても確定的な情報」……たとえば勝ち負けとかスコアについては、多くの病理医がだいたい同じように記載している。

しかし、たとえば勝利投手にぐっとクローズアップして報告するのか、はたまた勝ち越しタイムリーを打った5番打者にフィーチャーするのか、みたいな部分が違う。ある先発投手が1安打された以外はほとんど完璧に抑えた、みたいな書き方と、若いピッチャーをリードしたキャッチャーの配球が良かった、みたいな書き方では、同じ勝ち試合のレポートといってもだいぶ差がある。


そうやって、ほかの病理医の書いたものを読んでいると、いろいろと「奥底」を考えるようになる。

あるレポートをを読んで、どうやら自分が日頃書いているレポートよりも「文字が少ないな」と感じるとき……。「この病理医は、自分で見たモノを全部は書かないタイプだな、結果だけを書いていけば主治医は喜ぶと思ってるんだな……」なんて、ちょっとネガティブな感想を持ったりする。

しかし、同じレポートを違う病理医に読ませると、「この人は慎重だね。一瞬、このプレパラートのこの部分について書きたくなるものだけど、よくよく見ると、これ、判断が難しい。余計なことを書くと主治医も迷ってしまうかもしれないから、悩んだ末に書くのをやめたのだろう」なんて、まったく違う判断を下したりする。

そういうときにハッとさせられる。

「書かないことであいまいさを回避する」みたいなやり方もあるのか。確かになあ。近頃、あまりそこには気を遣っていなかったなあ。などと。



他の病理医の書いたレポートを読むと、これまで自分のスタイルに合わせて機械的に穴埋めしてきた項目を見直してみようかな、とか、昔の病理医は書いていたのだけれど昨今は省略されるようになった細かい所見をあらためて気にしてみようかな、みたいな気持ちがわき上がる。

一度完成させた気になっていた自分の「スタイル」の改善点が見えてくる。



病理医は一人で考えて悩む時間が比較的多い職業だ。そして、自分だけで考え続けているとどうしても閉鎖的に、あるいは盲目的になる。狭い視野からの限られた情報に踊らされることで生じるミスを防ぐために必要なのは、まずは「臨床医たちとわりとしっかりめにとコミュニケーションする」ことだ。他方面の視点を取り入れて二人三脚で取り組めば、大きな間違いは起こらない。

そして、加えて、「他の病理医たち」にも目を向けるとよいと思う。病理医どうしの「スタイル」の違いを認識して、あの人はなぜこのような文章の使い方をしているのだろうと考え、自分の診断に欠けているものや、あるいはあまり意識していなかった部分、気づかないうちになんらかの効果を発揮していたフレーズなどを丁寧に見直していく。レポートを受け取って読む臨床医すら気づかないような、細かい助詞のニュアンスの違いひとつにも、病理医はなるべく心を配ったほうがいい。肯定や否定、可能性の多寡などに関わる、「言外ににじむニュアンス」が、いつのまにか主治医の意志決定に無意識的に働きかけていることもあると思う。ほかの病理医の診断を見て考えることは、そういう部分で役に立つのではないかと、今のぼくは考えている。