2023年6月14日水曜日

ふと

『ボールパークでつかまえて』というわりと日常系のマンガがあるのだが、その中に、特に詳しい言及もされないまま『球場三食』というマンガの構図を真似ているシーンがあり(球場に着いて客席を見回して「たまらない……!」と言うだけ)、ああこれは間違いなくリスペクトでありオマージュだ、でも気づく人がどれだけいるかなあ、いや、いるか、『球場三食』ロスに苦しんだ人がたどり着く系のマンガだもんな、でもこのことをツイッターに書いたとしても、たぶんわかってくれる人はそう多くないだろうな……と、一人で思考して決着した。「ふと考えついたこと」が、人に話すにはめんどうすぎてアウトプットできない。こういうことがたまにある。


「ふと」の重さ。


ぼくが何かを「ふと」思い付くまでに、45年の月日を通じたさまざまなものが関わっている。概念が日々すれ違っていく交差点のアスファルトに染みついた靴の踏み跡のように、折り重なって濃度を増していったたくさんのコンテキストがあって、その凹凸のどれかにたまたま引っかかった複雑な形状のものが「ふと」知覚される。となれば、ぼくの「ふと」は、他の人間が味わう「ふと」とは似て非なるモノである。

それは誰にとってもそうなのである。お互いさまなのである。ぼくだけがそうなのではない。誰もがそうなのである。

「ふと」は重い。だんだん、互いの「ふと」は混じり合わなくなる。自分の心の中だけで安定する結晶構造物。空気に触れると崩れ去っていく。


あるいは、ここで、『宙に参る』に出てくる「判断摩擦限界」のようなことを追加して考える。「ふと」思い付いたことの周囲にはたくさんの事象が付随している。それは年を経るごとにどんどん多くなっていく。「ふと」にはたくさんのアクセサリーが、あるいは、それ自体がもはや一つの国なのではないかというくらいの大きな複雑系がくっついている。装飾されている。「ふと」思い付いたことを言葉にして口に出す前に、そういった付属品、もしくはそっちが本体かもしれない、そういったものを脳内で矯めつ眇めつして、あれもこれもと思考が遊び始める。ふらふらとふらつく。それがいつまでも終わらない。思考がシケインを経て減速し、複雑なループに紛れ込んで、いつしかバターとなって溶ける。アウトプットが不可能になる。「ふと」は口から外に出なくなる。


時候の挨拶、決まり文句、ああ来たらこう返す、みたいなものばかりが口をつくようになる。

その人の半生が染みついた思考ほど言葉として出てこなくなるものだ。


祖母が亡くなる数ヶ月前に、病室で、ぼくが一度も聞いたことのない昔の話を、祖母が突然語り出したことがあった。出てくる人間の名前が一人もわからない。場所がどこなのかも、時代すらもよくわからない。それはおそらく、往時の祖母であれば、「このことを孫に言ってもわからないだろう」と思って自然と秘匿されるような内容の会話であった。しかしそのとき祖母はぼくに自分だけのエピソードを話すことを選んだ。ぼくはその内容を聞きながら、覚えていられる自信が全くなく、メモでもとるべきか、申し訳ないな、と思ったし、実際そのときに聞いた話は今はきれいさっぱり忘れてしまった。案の定、である。つまり祖母の人生を子孫が忘却したことになる。それはつまり祖母を「殺す」行為になるのではないかと、一時期はだいぶ落ち込んだ。しかし、今となっては別のことを思う。祖母は「ふと」思い付いたことをぼくに語った。孫はそのことを何度も思い出した。ああ、いろいろと歩んできた祖母は、あのタイミングでぼくに、「自分は確かに複雑な人生を歩んだのだ」ということを語ったのだ。語った内容は「複雑さと切り離せないその人自身の固有の『ふと』」であった。それをぼくがいくら丁寧に聞いたところで理解できるものではない。さらに言えば理解する必要もない。だってその人の心の外から出たら崩れるのは当たり前なのだ。ただ、「ふと」思い付いたことを話したくなる相手として、そのときのぼくが認定されたことだけを喜べばいいのかもしれない。ということを本日急激に、ふと思い付いて、ぼくはなぜか許された気分になった。このニュアンスをあなた方と共有できるとは思えないが、それでもぼくはなぜか、まあ今日はここに書いておくかなと感じたのだ。それはきっとあの日の祖母と通じる感覚なのではないかと思うのだ。