2023年6月26日月曜日

自己非同一性の証明

大学時代の思い出話をぜんぜんしないでいたらほとんど忘れてしまった。部活の同期や先輩・後輩などともう少しやりとりをしておくべきだった。こんなにエグいレベルで忘れるなんて思っていなかった。かつて作っていたホームページはうっかり消しちゃってそれっきりだし、ブログの類いも残っていない。写真もない。


こんなに記憶をなくすると、大学時代のぼくと今のぼくとは不連続なのではないかという懸念さえ出てくる。自己同一性とはこんなにもあいまいなものなのか。


今この瞬間にも忘れ続けている。クレジットカードやポイントカードの「ポイント失効」みたいなかんじだ。毎月失われていく。


とりあえずぎりぎり思い出せるものだけでも思い出しておこうか。





大学1年生のとき、入学式の前日に新入生オリエンテーションというのがあり、1年生はたしか……大学の北のほうにある当時の教養棟に向かうことになっていた。北18条駅を降りて少し歩いて、教養棟が見えてくると前後左右が先輩だらけ……だったかなあ。違った気もする。この日はあるいは医学部の校舎に向かったのではなかったか。だとすると北18条ではなく北12条駅から北13条門を通って、というルートになったはずだ。ああ、もうこの第一歩目からぜんぶ忘れている。


そこで何が起こったか。「文字でしか思い出せない」のだが(つまり風景は完全に忘れているのだが)、高校の剣道部の先輩がいたはずだ。それも複数。先輩に囲まれたぼくは入学式の前日に「医学部剣道部」に入れられた。ほかの選択肢はなかった。さらに、今から書く記憶は後日の捏造かも知れないけれど、知らない大学で知っている人たちに声をかけられて、無理矢理部活に入らされるという体験を、多少なりともぼくはうれしく感じたのではなかったか。

そこにいた先輩は北大生ではあったが、みんな医学部生ではなかった。となれば医学部の入学前オリエンテーションにいるのは不自然だし、実際当時のぼくはかなり驚いたと思うのだけれど、彼らは医学部生でなくても「医学部剣道部」の部員だったのである。

なぜ医学部生でもない先輩たちがみな「医学部剣道部」に入っていたのか。

当時の北海道大学には、5限が終わったタイミングで稽古がはじまる「全学剣道部」のほかに、6限までみっちり講義がある医学部生向け&6年生まで引退せずに部活をやろうと思えばできる医学生向け&医学部オンリーの体育大会がある医学生向けにフィックスされた「医学部剣道部」が別にあったのだ。

全学剣道部は3年の春には引退しなければいけないし(就活がある)、インカレを目指すゴリゴリの体育会系で、かつ稽古のはじまる時間が早い。その点、医学部剣道部は、全学ほどの厳しさがないし(人によるが)、6年までいていいので大学院進学組なども所属しやすい。がんばって強くなれば個人戦でインカレに出ることも可能なので、あえて全学剣道部を選ばずに医学部剣道部でのんびりやる勢がけっこういて、ぼくの高校の先輩達はだから多くが医学部剣道部に入っていたのだった。

というわけで大学入学の前日にぼくはたくさんの先輩に囲まれたのだけれど……だめだ、記憶が混戦している。たとえば同級生のアキコの姉ちゃん(カズコ?)がそこにいたわけはない。それは高校に入ったときの記憶だ。3年ずれている。さらに、早世したトノムラさんがいて話しかけてきて談笑したように思うのだがこれもおかしい。ぼくはその時点で彼を知っていたわけではなかった。D先輩が先輩としてそこにいた記憶もへんだ。彼は一浪したからぼくの同級生になっていたのだ。

ああ、ああ、「高校の先輩に声をかけられてうれしかった」記憶はもう砕け散っている。

「映像」はもうまったく残っていない。かろうじて「文面」が断片化して残っている。

エジプト文明か。



そこから先、大学6年間、医学部剣道部6年間で、本当にいろんなことがあったはずなのだ。

東北六県をすべて訪れたし、札幌医大・旭川医大との三学交流戦も何度も戦ったし、飲み会だっていっぱいあった。

一年目の夏は……横浜に……遠征に行った気がする……。

二年目は……たしか夢の島だった。

三年目。だめだもうわからない。

四年目は秋田だった。

五年目。わからない。夢の島か?

六年目。もうだめだ。なぜ最後を覚えていないんだ。



この程度の記憶力なのに、ぼくは自分が自分であると認識しているのである。

アイデンティティってもろすぎるよなあ。自分なんてこの程度でなんとかなるんだ。