デスクのそばにある本棚の上にはサーキュレーターが置かれており、室内を換気し続けている。これでウイルスがどれだけ去っていってくれるのかはわからない。焼肉の後に服にファブリーズするくらいの効果があるだろうか。そこまでの効果もないのではないか。でも、「じめっと湿った検査室」で勤務するくらいなら、風通しがあったほうがいいに決まっている。あって悪いものではない。音もしずかだし。
オフィスチェアに実を預けて、小玉のスイカくらいのサイズがあるサーキュレーターをじっと眺める。ゆっくりとふしぎな回転をしていて、上やら前やら横やらに風を送っている。風向は本棚を挟んで反対側にある技師側のスペースを向いていて、ぼくのデスクに風が来ることはないのだが、空気の循環がめぐりめぐってぼくのデスク周りの空気も多少はかきまわされているはずである。
生活の中に風を入れるにはどうしたらいいか。本を読んだりツイッターを眺めたりすることは、膠着した暮らしに酸素を運んでくるこころみだと思う。でも、わりと二酸化炭素ばかり運んでこられることもあるし、アンモニアや硫黄のような臭気がやってきてしまうこともある。
だまって座ったままサーキュレーターにまかせて外の空気を取り入れるばかりでは、空気の質を高く保つことはなかなか難しく、それに気づいた人から順番に旅に出かけていく。
しかし、そのような理屈はぜんぶわかっているのだがそれでもぼくはあまり旅をしない。「旅をしたら風を感じるのはあたりまえじゃないか」のような、よくわからない、ひねた感覚みたいなものがぼくの中にある。旅は好きだ。旅で得られるものは多い。しかし旅をする前にここでやっておきたいことがあれもこれもあるのだ。旅をしたがるばかりでちっとも旅に出ないぼくの書く物を部屋で黙って読んでなんらかの酸素を取り入れるタイプの人がいるかもしれないし、そんな人がどこにもいないとしてもぼくは自分の脳にあるものを指先からキーボードにジャンプさせてモニタに顕現させるまでの過程を見ないと息苦しくなってしまうのだからしょうがない。
たまにはぱーっと気分転換してどこかに遊びにいったほうがいいよ、の人よりもぼくの方がおそらくこれまでの人生で気分を転換した回数は多いはずだ、という謎の確信もある。なにかといえば「旅をしろ」と言う人間ばかりだと空気がよどむのだ。それをかきまわすための首振りがおそらくどこかにいたほうがよいのではないか、くらいの気持ちなのである。