これはそのままメディアの歴史でもあるしIoTの歴史でもある。
人が音楽をよりよく聴くために技術が開発されていった……とまとめたくなるが、実際には、さまざまな理由で偶然開いた技術の扉を音楽がダッシュで通り過ぎていく、みたいな印象を受ける。目的のあるものづくりだけでは世の中は変わっていかないし、世の中は変えたくない部分まで勝手に変わっていってしまうものなのだなあ、としみじみ思う。
無料でコンテンツをいくらでも見られる時代、ティーンは一銭も払わずにコンテンツまでたどり着くのが当たり前だが、ではどこに金が発生するのか。どうやって業界は生き延びたらよいのか。
無料(フリー)のYouTubeよりも、より自由(フリー)な音楽生活をユーザーに提示するのがSpotifyだという。
でも、サブスクで救われなかったバンドがぼくは好きだった。
きっと、iTunesの時代に滅んだいいミュージシャンもいたのだろう。
あるいは、レコードからCDになったときに滅びたアーティストもいたのかもしれない。だからぼくの感傷は今さらなのかもしれない。
なんでも無料で聴けてしまう今、音楽業界は誰にどのようにお金を払ってもらっているのか?
コンテンツ周辺のサービス(例:べんりさ)を充実させる。推し活動の都度課金を応援する。ライブの価値を再評価する。
業界全体はさまざまな工夫を用いて、トータルでの音楽産業を復活させようとがんばっている。
しかし最初から最後まで正解ばかり選べた企業はほんとうに一つも存在しない。SonyもAppleもコケている。少しずつ滅んで入れ替わっていく。
栄枯盛衰をあはれに思いながら本を読み終わった。ぱたんと閉じてカバンにしまった瞬間に考えていたことは、
「人は30代で音楽離れする」
というフレーズのことだった。そこかよ、という感じだが、そこが一番自分ごとだったのだ。もう40代だけど。
言われてみれば、ぼくも30代中盤くらいから摂取する音楽の量ががくんと減った。離れたつもりはなかったけれど、本やマンガに比べるとあきらかに、音楽だけに向かい合う時間は減っていた。それに今さら気づいた。わりと「聴いている」つもりだったけれど……。
ラジオやポッドキャストを便利に聴いているなんてこないだもここで書いた。でも、その中に占める音楽番組の割合が年々減っていた。耳は使い続けているのだ。でも音楽に割当てていない。盲点だった。
あるいは、「最近の若者の音楽がわからない」と中年が言いたくなる理由の一端を見ているのかもしれない。趣味がずれるからわからないのではなく、単純に摂取量が激減しているからわからなくなるのだろう。
40代中盤の知り合いを見渡してみる。いまだに音楽と昔のような距離感を維持して聴きまくっている人の心当たりが、正直あまりない。なんらかのアイドルやグループ、バンドを推し続けている人はいるが、「音楽番組なら一通りチェックしている」とか、「Spotifyで延々とプレイリストを回し続けている」みたいなタイプの人がぜんぜんいない。
スペースシャワーTVばかり見ていたあの頃のエネルギーというのは何に向けられていたのだろう。
……自分が共鳴できる場所を探していた? 陣地をじわじわと広げるような侵略行為だったのかもしれない。
だから領地が固まって外交も平和的なものばかりになり、内政だけしていれば安定できる状態になった(アイデンティティがはっきりしてきた)30代以降は、他者の表現を次々と味見していくような活動に興味をなくしたのかもしれない。
それは音楽だけの話だろうか。ぼくは今、味見全般に飽きているのではないか。そうでもないか。マンガについては今もがんばって領地を広げようとしている気がする。でも、映画はもうやっていない。音楽と一緒かもしれない。ゲームもそうだろう。スポーツなんて最たるものだ。仕事は……。
仕事もか。仕事もなのかもな。