2023年6月30日金曜日

Twitterのいいところ

むかしむかし、大学生だったころ、「超短編小説会」というサイトにときおり5000字未満の小説を投稿していた。当時のログはすべて消えているし、書いたものもどこにも保存していないし、ウェブアーカイブスを使っても辿れなくなっていて、もう読むことはできない。たしか、北海道が本州に反旗を翻して白兵戦ならぬ白米戦を挑む話とか、夕陽の差し込む8畳一間のアパートに暮らしていると夜に帰宅したときに部屋の中にぬくもりが残っていて幸せな気分になる……と思っていたらじつは自分が出勤している間に不審者が部屋に上がり込んで勝手にコンロを使ってカップラーメンを食べていたその残り香だったとか、ある高齢の小説家が最近ぜんぜん書けなくなって、ついに何か具合でも悪くなったのかと思って編集者が家をたずねていったら、再婚した妻が「前の奥さんほど上手に書けないの」と言うとか、そういう話をいくつか投稿していた。基本的にぼくはお題を出されてそれから連想して書くようなものばかり投稿していて、自分の中から何かが湧き上がってきて書くようなことはほとんどしていなかったはずである。


その投稿サイトには常連がいて、お互いにお互いの作品にコメントを付けたり、お題企画のときに常連が一斉に投稿して「あの人らしいな」と笑い合ったりということをオンラインでやっていた。にんじんというペンネームの人や北町公園というペンネームの人が書くものがおもしろかったし、海なんとかさん、なかまなんとかさん、ラジなんとかさんなど今でも名前を覚えている人がいる。そのほとんどとは直接顔を合わせなかったが一人だけ横浜でご飯を食べたことがある。


たしかその相手は高校生のときからそのサイトに出入りしていて、大学の2、3年くらいで参加していたぼくとはたぶん一番年が近かった。その方が大学生になってから横浜のバーかどっかでお酒を飲んだ。とくにいやらしいことはなかったのだが、なにかのラインをあと半歩くらいで踏み越えそうなあやしい雰囲気が時間軸のそこかしこに数秒ほどまばらに漂っていた記憶がある。これもだいぶ改編された記憶な気もする。


先日、TwitterのDMで、まさにその方から「結婚して今お腹に子どもがいるんです」という報告をうけた。連絡自体がひさしぶりだったので驚いたが、そうか、お互いに今もうどこにいるかわからないけれど忘れはしない、みたいな関係が誰の中にもたくさんあるもので、ふつうこういう連絡ってたぶん取りづらくなると思うのだけれど、ぼくはたまたまこのTwitterアカウントのせいで、誰かがぼくを思い出したときに検索しやすいふしぎな道しるべを一つ有しているのだな、ということを今さら思った。


今さらだ。あまりこれまで考えていなかった。Twitterを大事な人との連絡に使おうと思ってやっていない。しかし、今回、できた。


たとえば同級生が芸能人になったら。プロスポーツ選手になったら。政治家になったら。小説家になったら。昔知り合いだったからと言って、ホイホイ連絡をとれるか? ぼくはできない。目立っているから連絡しやすいというわけではないのだ。かえって疎遠になってしまう。しかし「Twitterでちょっと目立つ」というのは、その意味では「ちょうどいい」のかもしれない。何年もの時を超えて突然連絡が来ても、Twitterなら大した違和感はない。電話やメールだとハラハラするところもあるが所詮はDMだ。メッセンジャーでもLINEでもだめで、これはTwitterだからよかったのだと思う。


そうか、ぼくは、Twitterのせいで、過去をつなぎとめている部分があったのだ。ところでこないだ、小学校のときの同級生とばったり会った……らしいのだが……むこうはぼくのことを覚えていたけれどぼくはむこうを全く覚えていなくて、名前も顔も何も思い出せなくて、俺ダヨ俺と言われたけれどあるいはあれは詐欺だったのではないかとすら思うのだけれど、とにかく、過去をぶっちぎるような暮らしに余念が無いぼくは、まさかのTwitterが過去の一部を保存するのに役に立っていたということに、ふしぎな巡り合わせを感じる。有象無象からクソリプを集める装置であるところのTwitterのおかげで20年前の旧交が温まるなんてことが起こるとは思っていなかった。お幸せそうでなによりです。