2023年6月7日水曜日

病理の話(784) 転移かそれとも別モノか

一部の病気は、体のどこかに発生したあと、なんらかの手段でほかの場所に移動して、そこでまた増える。あたかも、雑草があちこちにタネをばらまいて増えるかのように、ひとつの場所でだけ悪さをするのではなく、いくつもの場所を侵して悪さをするのだ。

特に「がん」においては、「転移」という言葉が有名だ。おそらくあなたも聞いたことがあるだろう。


ひとつの場所に留まっている病気だったら、その部分だけを手術でとってしまえばいい。それで病気を根絶することができる。しかし、「転移」したがんを制御しようと思うときは、医療者はいろいろな工夫をしないといけない。


「転移した病気もぜんぶ取ってしまえば治るんじゃないの?」というアイディアもある。

しかし、先ほどの雑草のタネの例でもわかるように、すでにどこかに転移している病気というのは、たいてい、1箇所だけではなくてほかの場所にも転移しようとしている。庭の雑草を一本ずつ引っこ抜いても次から次へと新しい草が生えてくるように、がんの転移する先をどんどん取っていけばしまいには臓器がなくなってしまうだろう。それでは困る。

なんというか、抜本的に考え方を変える必要があるのだ。手術のようにあちこちを削り取る治療をするのではなく、薬を全身に行き渡らせて、転移している病気を同時に攻撃する、などのアイディアが要る。


したがって、「この患者の病気は転移しているなあ」と判断することはとても重要なのだ。転移していないときと、転移しているときでは、治療方針がまるで異なるのだから。


そして、ときに、患者の中にはまぎらわしい現象が起こる。


たとえば、同時にふたつの病気ができる。大腸と肺にひとつずつ、まったく別の病気がたまたま偶然できてしまったとする。

この場合、たとえば大腸の病気が「肺の病気が転移したもの」だとしたら、治療として手術を選ぶことはあまりない。

さっき書いたように、転移している病気を治療するときは考え方を変えなければいけないからだ。

しかし、もし、大腸と肺の病気が「それぞれその場所で、まったく無関係に発生したもの」だとしたら、つまりどちらもまだ転移していないとしたら?

なんと、「大腸の病気と肺の病気を、それぞれ別の手術でとってしまえば」、両方とも治る見込みが出てくるのである。


転移か? それとも、別モノか?


これをどうやって判定すればいいのか。


CTやMRIで、病気の輪郭や内部性状を観察する。一方の病変が、もうかたほうの病変の「転移」である場合には、ふたつの病気がどことなく似てくることが多い。

ただ、画像では限界もある。病気が別の臓器に移動してそこで陣地を貼るとき、元々いた場所とは違うかたちで陣地を作ることもあるのだ。日本のヤクザが海外に展開しているシノギは、現地のニーズにあわせて、国内のそれとはデザインを変えるだろう(たぶん)。それと似ている。

そこで登場するのが病理医だ。


手術をする前に、大腸と肺から、それぞれちょっとずつ細胞をとってくる。大腸は大腸カメラごしにマジックハンドを伸ばして。肺は気管支鏡というカメラを用いて。小指の爪の切りカスくらいのかけらでいい。

それらの細胞を見比べる。元が同じ細胞だったら、顔付きは似てくる。海外で暮らしているヤクザも、顔はあくまで和顔だからね。


病理診断というのはこの「圧倒的な解像度」がウリである。ただ……実際にはもう少し難しい。日本のヤクザが韓国にいるとして、顔だけで区別するのはけっこう大変だろう。そういうときは、持ち物検査(例:免疫染色)などを駆使することになる。Suica持ってりゃ日本人だろ、みたいに。でもまあ……韓国人もいまどきけっこうSuica持ってるかもしれないけどな。