2023年6月9日金曜日

病理の話(785) オタク向きの仕事

「登場するキャラの設定を細かく知り尽くしてはじめて書ける二次創作」みたいなのがあると思う。


それでいうと炎症細胞なんてのはめちゃくちゃ細かく設定がある。たとえば、「好中球」は細菌がやってきたときに基本すっ飛んでくるケンカっ早いやつだ。逆に言えば、好中球が見つかったらそこには「ケンカのタネがあった(例:細菌が存在した)」ってことがまるわかりである。

ただし、好中球がいつも細菌だけを相手にしているわけではない。一部の自己炎症性疾患では、細菌がいないにもかかわらず血管周囲にあらわれることがあって、しかもただ存在するだけじゃなくて血管の壁を殴っているからそれは何か異常だとわかる。

さらに言うと好中球は組織内での寿命が2日しかないので、顕微鏡でみたときにそこに好中球がいれば少なくともこの2日の間にやってきたやつなんだなという時間情報もゲットできる。


さて、設定というのは個人を深掘りするだけでなく、関係性を見ていくものだ。たとえば好中球とマクロファージは共闘していることがあるが、マクロファージだけがいて好中球がいないときは「もう好中球の登場時期は過ぎ去ったんだな」とわかる。そういうときのマクロファージは(好中球といっしょに登場したときに比べると)腹を膨らませていて、これはバトルの後に敵の残骸を食って体の中にため込んだからなのだ。そして、マクロファージの近くには、元は好中球だったと思われる「好中球の残骸」(核塵という)も落ちていることがある。そういうのを見ると病理医としては設定の奥に潜んだ関係性まで読みにいくべきだと思う。「ちょっと前に戦闘があったんだな」「好中球は戦い終わって天に召されたんだな」「ひとり残されたマクロファージは余韻を噛みしめているんだな」と、いろいろ複雑な情報を得てストーリーを構築することも可能だ。



肝臓を針でチョンと刺して細胞をとってくるときのことを考えよう。主治医は「肝炎」を考えているようだが、患者が一番しんどい時期に肝臓に針を刺すのをやめて、しばらくは治療をしていた。ようやく細胞を採取するころには、病気が治りつつあって、そうなると病気の証拠もだいぶ失われているということである(現行犯がいちばん逮捕しやすい。時間が経つと説得力のある証拠は減っていく)。

そういうタイミングで細胞を採って顕微鏡で見ると、観察できるのは「ケンカの痕跡」ばかりである。実際にどんな炎症細胞がどうやって戦っていたかはわからない。ただし、よくよく観察すると、何かの構造物の横で「満腹そうな顔をしているマクロファージ」がぽつんぽつんと見られる。このマクロファージたちは、今から1週間とか2週間前に起こったケンカの後始末をしたやつらなのだ。今まさにケンカをしているというわけではないが、少なくともぽつんと残されたマクロファージを見れば「ああ、この近くで過去に激しいケンカが起こったんだな」ということはわかる。これはつまり「時間と場所の情報」が得られているわけで、マクロファージの「ぽつん」だけで肝炎の原因がひらめいたりすることもあるのだ。



リンパ球にはB細胞とT細胞がいる。「はたらく細胞」で有名なように、T細胞はさらにキラーTとヘルパーTと制御性Tなどに分かれるが、B細胞もじつは細かく成長段階がある。たとえば粘膜の深部にいるB細胞はスンとした顔をしているが、粘膜の表面に移動して外敵といつ接触してもおかしくない! みたいな場所に移動するといつのまにか手に何やらいっぱい持っている。それはイムノグロブリンと呼ばれる飛び道具で、外敵に投げつけて免疫を発動させるためのものなのだ。こういう武器をたっぷり携えたB系の細胞は「形質細胞」と呼ばれる。大枠ではB細胞なのだがその中でも特に名前を付けわけている。イメージとしては「警察官」と「機動隊」の違いみたいなものだ。機動隊員だって警察官ではあるが、最前線で戦うやつらにはそれなりの名前をつけたほうがいい。で、性格と関係性を考える。B細胞とT細胞はわりといっしょに出現することが多い。しかしB細胞系列の中でも形質細胞まで「特化」してしまうと、外敵のことに頭がいっぱいなのか、徒党を組んで仕事に忙しいのか、形質細胞どうしでカタマリ合うようになって、T細胞との入り混じりはわりと少なくなっていく。

そういう「関係性」が普通なので、逆にたとえばT細胞と形質細胞が同じくらいの割合でひしめきあっていたら、それは何かおかしいことが起こっている、と考えをめぐらせることができる。おかしいことというのは外敵が突っ込んできて味方の布陣がぐちゃぐちゃに崩されているとか、あるいは外敵ならぬ内部のワルモノによって歩調が乱されているとか。



「あっ何か起こっているぞ、今はストーリーが盛り上がりつつあるところなんだな」と気づくことで、顕微鏡でどこをどう観察すべきかもわかりやすくなる。キャラの設定を把握して関係性をきちんと読み、いつも見られない関係が出現したときには「何かがおかしい」とギアを入れ替えてじっくり顕微鏡を見る。そういう種類の診断方法がある。かなりオタクと親和性の高い仕事である。